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春霞集もとい毛利元就詠草集下巻~連歌の部まとめ~

連歌の部の発句まとめです。
以前作った!と思ったら全然違うものですみませんでした。
今度こそまとめです。

春霞集・下巻のうち、
発句の部分です。
批評&末文は里村紹巴さん。

春の歌
鶯の 春をわくてふ 大雪かな

梅が香の鶯さそふ軒端かな
「梅さけは 月も匂へる 霞哉」
「霞ふく あらしを梅の色香哉」


「朝露の いとにたまらぬ 柳哉」
「木のもとに 梢みたるる柳哉」


「すむ月に 春をしらする霞哉」

「待程を はなにしらする春もかな」
「初花は ちらて匂へるあらし哉」
「薄花の はなにこかるるこころ哉」
「むらむらに 花のいろわく霞かな」
「鳥の音に 霞わけぬ 花もなし」

「夕露に 花に影ひく月夜哉」
「花にをく 露や中立夜半の月」
「身はひとつ かけて野山や 花の春」

「山里の 花にわするる 都哉」
「岩木にも ならはや花に 山のおく」
「世にひろき 匂や花の春霞」
「春はただ 野山を花の都哉」

夏の歌
郭公
「一こえはせめてきかしを郭公」
あやめ
「かほり来て 袖ひく澤の あやめ哉」
五月雨
「五月雨は おもはぬ浦の住居哉」
夕涼み
「涼み居ては おもへは花の木かげ哉」

秋の歌

「薄霧や まかきの花の小萩原」

「千入りにも ひかりやそめし 秋の月」

「秋の月 雪にやにほの濱の千鳥」
丹葉
「藍よりも こきは時雨の丹葉哉」

冬の歌

「初雪は 時雨のつもる行衛哉」
「薄雪の 尾花につつく冬野哉」
「ふらてたに 雪を汀のしら洲哉」


春霞集下巻総評
「戦国の後世の人々へ
 どうか伝えてほしい。
 毛利元就公の和歌に遊ぶ心を」


上巻・まとめ
下巻・連歌まとめ

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「広島はすごい」感想

新潮新書
「広島はすごい」(安西 巧著 2016年発行)

を読んだのですが、
広島本は色々ある中でちょっとこれは異彩を放つ本でした。

今まではご当地本の一種としての広島本か
地元出版による広島本だったのですが
今回はそのいずれも該当しない。
それと、著者は福岡出身の方なのですが
実際に広島に住まわれて
日経の支局長として活躍されているので
広島の街を経済的な観点から
客観的だけど熱を込めて語って下さっている本です。
なので、今までと違った視点から読めて面白かったです。

著者の方に言わせると広島人気質を例えるなら

「群れない 媚びない 靡かない」


ではないかと思われたそうです。
あ、え?そうかなぁ、そんな孤高を貫いちゃないけど・・・
カープとか県人会とか結構群れているけど・・・
と思ったんですが、読むと納得しました。

群れていても適度な距離を保ち
損と分かっていても権力には媚びない
金や地位に靡かない
そういう職人気質を指しているのだなと。

で、経済的な観点からが主なんですが
歴史的な観点から広島人を検証した章があるのですが
そこで主に出てきているのは村上武吉。
あ、え?伊予の人だけど?
と思ったんですが、織田・豊臣に決して屈せずに
戦い抜いたところは広島らしいのではないかと書かれていました。
ああ、うん、そこは確かに伊予よりもとは思うけど
島気質な気もせんではないかなと。

一応、毛利家や隆景のこともちらっと出てくるんですが
読めば読むほどやっぱり、広島人気質は
毛利家のほうがやっぱり当てはまるんではないかと思ったのです。

例えばp70の「リーダー不在の地」
会議をしても長引いて、なかなか結論が出ない。
・・・、うん会議は毎回結論出んのですよ。
うちの職場は、協調せんといけんけど
基本個人プレーなので
国人衆に近いものがあるんですが
・・・まあ、意見のまとまらんこと。
今までのことを進めるなら問題ないんですが
ちょっと今までと変えようとしたり、
ベテラン同士で意見が対立しようもんなら
毎回2時間近くかかります。終業時間過ぎてんのに・・・。

よく、防芸引き分け時に結論がなかなか出なかったのは
元就さんの策だとか言われますが
それ、絶対違います。
ただ単に結論出んかっただけじゃけえ!
と思うのです。
隆元の書状みると、
大殿と殿の意見が分かれて下もはっきりよう答えを出せれんかった。
というのがよう分かります。

それからp99の人国記から引用した安芸の部分。
 「安芸
  当国の風俗は性質実多き風なれども
  気自然と狭くして、諸人ひかへて人を先だて、
  人の善悪ともに判する事なく、己々が一分を守る風なり。
  之依って、抜群なる人少なし。
  世間の嘲りを恐るる事なき故。
  頼もしげなき様なれども、底意は実義より起これば善き所多し。
  殊に佐伯・沼田・賀茂の人健やかにして、二心表裏の風なし。」

 (人国記より)

ううん、岩波の人国記と訳が違うようですが
本では岩波の人国記から引用してあるので
「抜群なる人少なし」の部分が
「唯 己々が一分を振る舞う意地にして抜きんでたる人
 千人に十人としこれ無くして」

なんですが、注目すべきはここ。
「諸人ひかへて人を先だて」
要は
「皆、控えめなので自分から先に出るのではなく
 人を先に立てて」


・・・・。隆元と元就の家督相続問題もこれですね
「ワシもう本気で隠居する!」
「何言うてんですか!私には無理です!
 父上が隠居するなら私も隠居する!!」

上に立つ、人より先に出るのが嫌なので
人を押し出す。
あ、うん。

因みに続き
「ワシも70過ぎたし、もうええ加減に隠居した・・・。」
「何言うてんですか!じいさま!
 父さんは40まで後見してるのに
 僕は16で見捨てるんじゃね!!」

あの親にしてこの子あり。を地でいってます。
でも、毛利家だけかというとそうではなく
防芸引分では、大内と引き分けるぞ!
で、毛利家に付くと言いながら結局多くの国人衆は日和見。
かといって、大内家が滅びて防長計略になった時も
国人衆の中で毛利家がリーダー的な存在になるのを疎んじた形跡がない。
むしろ、元就世代で従った国人衆はどうしてそこまでというぐらい
進んで下について働いてます。
コントでいう「どうぞ、どうぞ」状態だったといっても過言じゃない・・・。

それから、
「己々が一分を守る風なり。」
本では、毛利家が天下を目指さなかったのは
限界をわかっていたからだとされていましたが
そもそもこの気質があったからではないかなと。
天下を目指すな、今取っている領地さえ守ればいい。
という考えはなかなか他所の方には理解されないんですが
・・・大儀ぃ。
という意識が根本あるんです、広島人。
他所を占領しても、そこを支配するには気を遣うし
そもそもそこまで出張せんといけんし、
だったら地元でええじゃん。
となるんです。
後半、広島から移民が多く出たことも触れられてましたが
ハワイに行こうが、ブラジル行こうが
北海道に行こうが地元出ることには変わらん。
どうせ地元を出るなら全くの未知の新天地に行ってみよう。
というぶっとんだ発想は、海賊的な考えというよりも
裏返せば地元でなければどこも同じ。
という強固な地元意識があるからなのかなと。
だから地元出る気が無い=天下取る気はない
に繋がるのかなと思いました。

それから
世間の嘲りを恐るる事なき故。
これも隆元が将軍から和睦を求められた時に
「将軍だろうが世間から何と思われようと知ったことか」
と言ってます。
まあ、あとちょっとで陥落するのに余計な邪魔したのは将軍ですけど。
こうと決めたらむしろ権力者に食ってかかるなあと。
ただ、普段はそんな大それた考えなんて抱かないので
他県からこちらに派遣されたかたに言わせると
「他所よりも上の言う事をよく聞いて働いてくれる。」
らしいです。
だからまあ
「之依って、抜群なる人少なし」
とリーダー的な存在になる人が少ないと言われているんだろうなあと。

それから山口での話。
うん、山口市行くと
「大内氏万歳!毛利?知らんよ。」
と若干見下されてる扱いです・・・。
いや、でも大内氏って内紛で滅びたようなもんじゃし、
生き延びているってことは
あなた方の御先祖は毛利氏に臣従したってわけで
毛利氏家臣になったわけだからと毎回思うんじゃけど。
・・・ううん。
とりあえず、
「江良、生意気だから殺していい?」
と隆元が思った心境に毎回共感してます。
多分、昔もこんなだったんだろうなあと。

あ、でも山口のことは歴史云々抜きに好きです!
もし見知らぬ都道府県出身者だらけの集まりがあったら
山口出身の人に一番に声掛けます!
多分、よっぽどの事が無い限り
友達になりやすい県なので。

で、メインの経済的な話。
アンデルセンの冷凍パン生地の話なんかは
吟醸酒を生みだした杜氏さん達にも通じるところがあって

「儲けよりもこの技術の素晴らしさを伝えたい!!」

あ、うん。広島の物づくりには職人魂が根本ありますもんな。
最後の章の「ニッチを磨き続ける」なんて
まさにそれだなあと。
「雨後の月」は私も好きな銘柄名のでよく飲むんですが
経営難で苦しんでいるのに良い酒造りで逆転。
そんな物語があったなんて知らなかったです。
基本、広島の酒は甘口から辛口、
大吟醸からどぶろくまで揃うんですが
地域毎に酒を作っているので酒造りの会社は小さい規模が多く
それぞれに苦労されているんだろうなあと。

まだまだ飲んだことのない銘柄もあるので
友と一緒に飲み歩きたいものです。

戦国時代のサンフレッチェ・メンバーその3

前回、小早川家文書で隆景さんがリアルサンフレッチェだった件を検証しましたが
他にも誰か貰ってないかな~と見ていると
吉川家文書にもありました!

吉川家文書674号
書き下し文
「紫組の冠懸之事、條々子細の儀有りと雖も候
 門弟之条久しき為、早速免じ之申し候
 御着用尤も規模珍重候也、恐々謹言
   7月25日        惟春
   吉川侍従殿」

現代語訳
「紫組の冠懸緒の事ですが
 本当はこれを許すには本当は色々と細かいことがあるのですが
 貴方は長いこと門弟だということもあるので
 早速、紫組冠懸を付けることを許可致します。
 これを身に付けることは大変名誉なことであり
 素晴らしいことだということを心得ておいてください。
  (天正16年)7月25日     飛鳥井惟春
   吉川広家殿」


・・・元春だったら、両川で両サイドじゃったけど
まあええか。
一応広家も両川だし。

文章は、定型文。
隆景さんが貰った紫冠懸緒の写しと同文です。

で、紫組懸緒は侍従の証。
書状に吉川侍従とあるので、
隆景同様、侍従就任と同じ時期に蹴鞠の免状をもらったはず・・・。

で、1つ前の頁を見ると吉川広家の官位叙任について
まとめて下さってました。
さすが長州藩。気がききます。
「    御陽成院
     口宣庵
 上卿中山大納言
  天正拾六年七月二十五日   宣旨
   従五位下豊臣廣家

 上卿勧修寺大納言
  天正拾六年七月二十七日   宣旨
   豊臣廣家
     宣叙従五位下

 上卿勧修寺大納言
  天正拾六年七月二十五日   宣旨
   従五位下豊臣廣家」

おお、やっぱり、侍従任命と同時に飛鳥井家から
蹴鞠の紫組編入を許されているのですね。
で、官位の任命で出てくる上卿(しょうけい)・・・・。
ああ!宮島にあるお屋敷!!
上卿屋敷というお屋敷が宮島にあるのですが、
そこは貴族が泊まりに来た時にもてなすお屋敷で
炉が至るところにあったり、部屋の中に段があったりして
一般のお屋敷とかなり異なった造りをしているのです。
よく、百人一首で坊主めくりするときに「段付き」といいますが
「リアル段つきじゃ!」
と友と一緒に特別に座らせて頂いたのですが
そのときお屋敷の方が
「ここは貴族の何何家と何何家が・・・」
って説明されてくださったんですが
そうか、上卿って、こういうことだったんだ!
まあ、さすがに現代生きているので
貴族の名前を出されてもさっぱわからんかったですが
へえ、こうやって官位を叙任したりしていたんですね。

ふむ、とりあえず侍従=紫組(サンフレッチェ)編入なんですね。

前 小早川家文書189号 「隆景がリアルにサンフレッチェだった件」

「決定!戦国武将の最強ランキング」の感想

10月号の「歴史人」に元就さん特集があるよ~
と伺っていたので、ついつい本屋さんで買ってしまいました。
神楽の本と一緒に・・・。
私の洋服代はこうして本に化けていきます。
「女子力」よりも「武士力」を磨いている日々です。

で、ネタばれになるのですが、
戦国最強は各武将の「勝率ランキング」と「読者による人気投票」と
「研究家によるランキング」だったのですが・・・。

「戦国最強」の勝率ランキング。
信長さんはまあそんなもんだろうなあと思いました。
いや、彼って調べると結構な負け戦していて
重要局面で初戦は負けているのです。
一向一揆にしても、近畿周辺の平定戦にしても・・・。
ただ、その後の2度目は絶対負けない、
だから周辺領域を治めて行けたのですが・・・。
っていうかこのランキングに上がっている武将、
吉川元春が入っていたら、
信長、秀吉、家康もっと順位下にならん?
なんで元春入っとらんのん?

とすごく疑問が・・・・。
ううん、マニアのための雑誌なんだから
戦数30超えてたら入れて欲しかったです。
あ、でもそうするともっとマイナー武将だらけで収集つかなくなりますね。
いや、でも両川って大河でてるしそこまでマイナーではないきが・・・。

そして最強の勝率を誇ったのは元就さん。
まあ、他の武将と決定的に違うのは戦ぎらいだったことかなと思います。
書状のぼやきをみるかぎり。
あ、でも雑誌の批評には首をかしげざるおえませんでした。

「一方、他地域と比較すると、周囲に強敵が存在せず
 敗戦が少なかった」


いやいや、あんた何言うとるん!!

尼子氏は中国・近畿の一部、
大内氏は中国・九州の一部と
数カ国を統治する巨大大名に挟まれとったんじゃけど!
そもそも、初戦は分郡守護の武田氏。
常に大勢を寡兵で破ってきたら智将と言われているわけで
強敵だらけですよ?
織田信長は確かに武田氏とか斎藤道三とか周囲にいたけど
武田氏にしても信濃と甲斐の2カ国だし
今川氏も駿河と遠江と三河、斉藤氏は美濃一国。
国の数で考えても桁違いでしょう?
・・・まあどうせ中国地方はマイナーですからこうやって取り上げられてくれるだけ
恩の字か。
ただ、マニアの雑誌ならそこんとこは押さえておいてほしかったなあ・・・・。
まあ、最強だったということで元就さんの特集が数ページに渡って
組まれていたのでよしとしましょう。
CG再現の写真も面白かったですしね。

ううん、次の地域別ランキングの点数、
元就さんもっと高くないのかなと思いました。
軍事力21とありますが、さっき勝率最強だったのになんで満点から4点も低い?
入賞してない信長さんが24。
え?何で?

政治・外交力も恐らく25あってもおかしくないはず・・・。
権力だけ振りかざすような上司にはけして従順しない国人衆を
一揆によってまとめた才能とか、
朝廷に銀山を差し上げて自分は代官となることで銀山闘争を起こさなくした方法なんて
他の戦国武将は一切とってない方法なんじゃけどなあ。
っていうか、一番大きいのは
織田信長を手のひらでころがすことができた。
ことだと思います。
信長が入魂を申し出たのは上杉など他にもありますが
戦の援軍出させたのは多分元就さんだけ。
何より元春に手紙出す様にとお願いして信長さんが素直に書いたこと。

・・・外交能力最強じゃろ(笑)

まあ、結局信長さんを一位にするためには
元就さんの点を低くせざる得なかったでしょうなあ。
でも、戦国最強で唯一信長が一位になれなかった勝率ランキング。
もし元就さんと信長さんで対決していたら・・・?
とか言ってましたけど、史実で考えるに
信長さんは元就さんとは絶対に戦は起こしたくなかった。

永禄10年という早い段階で入魂を申し出たのも
その死に際して忌辞を送ったのも
その後も天正8年になっても戦を回避しようとしたのも
毛利元就とは死んでも戦いたくないと思っていたからではないかなと思います。

だから戦国最強は元就さんになると思うんですが・・・・。
まあ世の人のことを考えると信長最強説に落ち着きたいでしょうな。

あ、でもその後の何でもランキングも結構つっこみどころが・・・。
一番の裏切りものといえば小早川秀秋だと思うし
隆景ってそもそも軍師ランキングに入れていいのか?
彼、立派な戦国大名ですよね?
毛利氏の臣下と言われればそうかもしれませんが
彼、本領の三原と竹原は毛利氏から与えられたものではなく
幕府から与えられているもののはず・・・・。
大体、五大老になっている時点で輝元と同格扱いなんだから
戦国大名ランキングのほうに入ると思うんですけど・・・。

ううん、でもまあ楽しめたからいいや!
また面白い企画の時には買おうかなあと思います。
みんなの感想もまた聞いてみたいなあと思います!
プロフィール

トロロヅキ

Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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