「平清盛展」感想~やっぱ清盛はええ大河じゃ~
今日は「平清盛展」広島最後の公開日でした。
まず入口にどんっと置かれた鎧。
紺色の威しなので腹巻タイプとは違って
どっしりとしており重そうです。
それと驚いた事に鉢金がとてもきれいな丸い形で
戦国時代と変わらぬほど高い技術が伺えました。
一体誰の鎧なのかと説明板を読むと
「平重盛奉納」。
おお!小松殿じゃああ!!
と感動がこみ上げてきました。
棚守さんの覚書や瀬戸内海に伝わる島の話から
小松殿は平氏一門の中で一番好きになった方なので
感動が一塩でした。
この小松殿は隆元と同じく不憫な長男で
いい人なのにマイナーでもっと知名度広がってほしいと
思っている方です。
で、冒頭には平氏一門の栄光への道が1000年近く前の自筆書状や
当時の記録などから説明してあり、普段絶対公開されないようなものだろうなと
展示ケース前で10分待ちしながらじっくりと堪能しました。
さて、まず清盛さんのお祖父さん、正盛さん。
かれは出雲守といい、
出雲で兵乱を起こした源義家の嫡男を討伐し
功績をあげたようです。
ひょっとしたら安芸守に清盛が任命されたのは
正盛さんが中国地方に縁があったのも関係するのかと思いました。
展示説明をざっと読んだところ
清盛が安芸守になった時に貴族から猛反発が起こったそうです。
安芸は律令で上国にあたり、
それまで武士が上国の任官になることはなく
貴族にあらずば人にあらずと思っている貴族達には我慢ならないことで
妨害工作を行おうとしたが全て未遂に終わったそうです。
まあ、「逃げる公家媚びる公家」からするに
武士に政権を奪われて何百年しても
武士は犬!
ときっぱり言い切っている貴族もいるぐらいですから
武士である清盛が貴族と並ぶというのは
本当にものすごいことだったんだなと思います。
なので父・忠盛が殿上人となり
御存じ大河でもあった舞いの場での嫌がらせは
本当にあったことのようです。
・・・えげつない。
その忠盛ですが
貿易で潤った金で貢いだから崇徳院の近臣になったのか
と思っていたんですが
彼は歌人としても優れ
崇徳院の歌会にも誘われていたそうです。
なので彼は教養溢れる人間で
だから崇徳院にも気に入られたんだと思います。
しかし実力よりも家柄がものを言う時代で
結局祖父・父と政治の中枢に上がっていく階はあったのにも関わらず
清盛が公卿として政治に参加できたのは43歳。
意外と遅いのに驚きました。
あと見ていてあれ?変じゃない?
と思ったのが平氏の隆盛の編成図です。
今図録で再度確認したんですが
安芸が入ってない・・・。
え?え?え?なぜ?
とものすごく疑問です。
実際調べてみると久安2(1146)年に平清盛が安芸守になってから
源氏に滅ぼされるまでの10年以上安芸守になっていたのに
なぜ安芸を入れてない!!!
とかなり不満でした。
実際、最後の清盛ゆかりの紹介の場所も
音戸の瀬戸とか宮島なんか全然取り上げていなくて
宮島と音戸なくして清盛を語るなかれ!!
と少し残念な気持ちでした。
他所の清盛関連の遺蹟の中でも最高級のものは
全て安芸にあるのになあと思います。
その一つがいうまでもない平家納経。
なのに何で模本を持ってくる!!
いや、まあ本物もありましたけど・・・・。
本物よりも摸本のほうが銀砂が輝いていて綺麗でしたけど
なんかなあ・・・。
普段本物を観ている身としては
なぜ広島でしていてわざわざ他所から模倣品を持ってくる?
とすごく疑問でした。
あ、でもよかったものたくさんあったんですよ!
平家納経で私が一番好きな観普賢経があったんです!!
これ紺色の紙に金字で書いてある平家納経にしては
とってもシンプルなものなんですが
この渋みがなんともいえん!!
いやあいいもの見れたと説明みたら
これ全巻そろっているものでなく一巻は流出
開経とよばれる部分は名物切として流出。
・・・・。
おおい!!国宝切るなあ!!!
まあゆうてもかなり昔の話で
有名人の手紙などを切りとって
名物切れとして珍重する風習があったようです。
一度宮島に賊が入っているからその時にでも
流れたんでしょうか・・・。
あ、あと他のお宝もすごかったです。さすが厳島!
もとが木とは思えないほど薄く削られた檜扇とか
黒漆にきらりと小さくきらめく螺鈿細工が見事な箱とか
普段宝物館でも観れないものがようけえありました。
そのなかに「棚守房顕覚書」が。
え?え?本物!?
と周りの皆さんが厳島神社の模型へと流れる中
一人流れを止めて食い入るように読んだんですが
本物でした!
なんというか会いたかった人にようやく会えたような
願わくは一度話をしたいなあと思っていた人なので
現物を観て感動のあまり動けませんでした。
そんなこんなで平清盛展
よかったです!
そして今日帰ってみた大河!
もう気づけば涙がぽろぽろでてきて
ああやっぱりいい!
展示見ようたお客さんが
「視聴率が悪いのはなんでかね?
ええドラマなのに。」
「視聴率なんて関係ないよ。
私達が観ればそれでいい。」
と話されているのを聞いて
まったくその通りだと思いました。
会場には多くの子どももいたんですが
どの子も飽きずに騒がずに静かにみていて
食い入るようにみている姿から
人は人、自分がよいと思えるものを良いと言うことが
大切なんじゃないかなと思いました。
と視聴率について考えてみました。
まず入口にどんっと置かれた鎧。
紺色の威しなので腹巻タイプとは違って
どっしりとしており重そうです。
それと驚いた事に鉢金がとてもきれいな丸い形で
戦国時代と変わらぬほど高い技術が伺えました。
一体誰の鎧なのかと説明板を読むと
「平重盛奉納」。
おお!小松殿じゃああ!!
と感動がこみ上げてきました。
棚守さんの覚書や瀬戸内海に伝わる島の話から
小松殿は平氏一門の中で一番好きになった方なので
感動が一塩でした。
この小松殿は隆元と同じく不憫な長男で
いい人なのにマイナーでもっと知名度広がってほしいと
思っている方です。
で、冒頭には平氏一門の栄光への道が1000年近く前の自筆書状や
当時の記録などから説明してあり、普段絶対公開されないようなものだろうなと
展示ケース前で10分待ちしながらじっくりと堪能しました。
さて、まず清盛さんのお祖父さん、正盛さん。
かれは出雲守といい、
出雲で兵乱を起こした源義家の嫡男を討伐し
功績をあげたようです。
ひょっとしたら安芸守に清盛が任命されたのは
正盛さんが中国地方に縁があったのも関係するのかと思いました。
展示説明をざっと読んだところ
清盛が安芸守になった時に貴族から猛反発が起こったそうです。
安芸は律令で上国にあたり、
それまで武士が上国の任官になることはなく
貴族にあらずば人にあらずと思っている貴族達には我慢ならないことで
妨害工作を行おうとしたが全て未遂に終わったそうです。
まあ、「逃げる公家媚びる公家」からするに
武士に政権を奪われて何百年しても
武士は犬!
ときっぱり言い切っている貴族もいるぐらいですから
武士である清盛が貴族と並ぶというのは
本当にものすごいことだったんだなと思います。
なので父・忠盛が殿上人となり
御存じ大河でもあった舞いの場での嫌がらせは
本当にあったことのようです。
・・・えげつない。
その忠盛ですが
貿易で潤った金で貢いだから崇徳院の近臣になったのか
と思っていたんですが
彼は歌人としても優れ
崇徳院の歌会にも誘われていたそうです。
なので彼は教養溢れる人間で
だから崇徳院にも気に入られたんだと思います。
しかし実力よりも家柄がものを言う時代で
結局祖父・父と政治の中枢に上がっていく階はあったのにも関わらず
清盛が公卿として政治に参加できたのは43歳。
意外と遅いのに驚きました。
あと見ていてあれ?変じゃない?
と思ったのが平氏の隆盛の編成図です。
今図録で再度確認したんですが
安芸が入ってない・・・。
え?え?え?なぜ?
とものすごく疑問です。
実際調べてみると久安2(1146)年に平清盛が安芸守になってから
源氏に滅ぼされるまでの10年以上安芸守になっていたのに
なぜ安芸を入れてない!!!
とかなり不満でした。
実際、最後の清盛ゆかりの紹介の場所も
音戸の瀬戸とか宮島なんか全然取り上げていなくて
宮島と音戸なくして清盛を語るなかれ!!
と少し残念な気持ちでした。
他所の清盛関連の遺蹟の中でも最高級のものは
全て安芸にあるのになあと思います。
その一つがいうまでもない平家納経。
なのに何で模本を持ってくる!!
いや、まあ本物もありましたけど・・・・。
本物よりも摸本のほうが銀砂が輝いていて綺麗でしたけど
なんかなあ・・・。
普段本物を観ている身としては
なぜ広島でしていてわざわざ他所から模倣品を持ってくる?
とすごく疑問でした。
あ、でもよかったものたくさんあったんですよ!
平家納経で私が一番好きな観普賢経があったんです!!
これ紺色の紙に金字で書いてある平家納経にしては
とってもシンプルなものなんですが
この渋みがなんともいえん!!
いやあいいもの見れたと説明みたら
これ全巻そろっているものでなく一巻は流出
開経とよばれる部分は名物切として流出。
・・・・。
おおい!!国宝切るなあ!!!
まあゆうてもかなり昔の話で
有名人の手紙などを切りとって
名物切れとして珍重する風習があったようです。
一度宮島に賊が入っているからその時にでも
流れたんでしょうか・・・。
あ、あと他のお宝もすごかったです。さすが厳島!
もとが木とは思えないほど薄く削られた檜扇とか
黒漆にきらりと小さくきらめく螺鈿細工が見事な箱とか
普段宝物館でも観れないものがようけえありました。
そのなかに「棚守房顕覚書」が。
え?え?本物!?
と周りの皆さんが厳島神社の模型へと流れる中
一人流れを止めて食い入るように読んだんですが
本物でした!
なんというか会いたかった人にようやく会えたような
願わくは一度話をしたいなあと思っていた人なので
現物を観て感動のあまり動けませんでした。
そんなこんなで平清盛展
よかったです!
そして今日帰ってみた大河!
もう気づけば涙がぽろぽろでてきて
ああやっぱりいい!
展示見ようたお客さんが
「視聴率が悪いのはなんでかね?
ええドラマなのに。」
「視聴率なんて関係ないよ。
私達が観ればそれでいい。」
と話されているのを聞いて
まったくその通りだと思いました。
会場には多くの子どももいたんですが
どの子も飽きずに騒がずに静かにみていて
食い入るようにみている姿から
人は人、自分がよいと思えるものを良いと言うことが
大切なんじゃないかなと思いました。
と視聴率について考えてみました。
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