FC2ブログ

武田山(銀山城1)

昨日載せた鏡山城ですが、なんで楽勝と勘違いしたのかというと
この写真を観て頂きたいのです。
武田山団地

他県からのお越しの方が多いので説明しますと、
赤い矢印が武田山、安芸武田氏の本拠である銀山城の本丸がある辺りです。
大体標高は410mです。
そして、よく他県の方に
「家が山を登っている!」
と驚かれるのですが、山裾に広がるのは一戸建ての家が集合した団地です。
写真を観れば高い所で、山の4合目まで迫っています。
よって、団地民にしてみれば、標高200mぐらいならば、
少なくとも私には普通に家まで帰るぐらいの感覚です。
因みに写真を取った位置も標高50mぐらいはあると思います。

住宅地の山だし、楽勝だとつい先日まで考えていたので、
昨日登ろうと思っていたのですが断念し、写真解説します。
武田山三山

地元では武田三山と呼び、
左から武田山、右が火山(ひやま)と言っています。
真ん中は・・・ちょっと忘れました。
今度公民館で調べます・・・

まず、赤矢印の所をご覧下さい。
丁度くびれがありますが、これは自然のものではなく、
本丸と出丸の間を一段下げるために切りとった切削地と思います。
これでも一応地学の石分野が専門なので、
大抵こういう不自然な稜線は人工的だという勘が何となく働きます。
安芸の岩質は広島型花崗岩なので、かなり風化しやすく、
真ん中の山のようにでこぼこするはずなのです。
したがって、赤矢印のように真っ平なのは人間の手が加わった可能性大です。

そうやって見ると、火山につけたオレンジの矢印のところも怪しいです。
この火山の語源は、武田氏の見張り台があり、
合戦時には狼煙が上がったから火の山、火山というそうです。
よって、この矢印部分の平らな場所は武田氏の狼煙台が築かれていた可能性があります。
なお、余談ですが、この山は麓にかけて春になると桜が咲き乱れます。
その桜の数が他の山よりも多いことから、人の手が入っている山だと推定することもできます。

ちなみに、地元の伝承では、毛利元就が武田氏を攻めた時に、
今写真で見ている側から攻めたとされ、火山から狼煙が上がったとされます。

銀山城は尼子方についていた時と大内方についていた時と
何度も攻めているのでどの戦いかは分かりませんが、
こっちは城の背後であり、山の向こうは広島市内なので、
大内方と敵対していた時期だと考える方が自然です。
すると、伝承は元就が尼子方についていた時の銀山城攻め、
大永4(1524)年の戦いだと思います。

ただ、それだとかなり早い段階なので、
もう一つ考えられるのが、
天文10(1541)年の武田残党との戦いです。
じつは、この山の右は、

伴方面
この「伴」は、最後まで抵抗した武田一族伴氏の領地でした。
よって、銀山城を攻め落とした後、伴へ進軍したなら、
この銀山城の裏から攻めた方が効率がいいのでこっちの戦いも候補になります。

因みにここも佐東郡の一部だったらしく、
元就は武田氏残党を退治したあと、
ここを所領にしていた記録がこの写真を撮っている場所である長楽寺に残っています。

とりあえず今日はここまでです。
明日宮島行って鎮火祭を見ようと思います!!
出来れば宮島から初日の出を!!
と思っているのですが、ううむ無理はしないようにします。

これが年内最後の更新となります。
出来たばかりの拙いブログに多くの方がお越し下さり感謝しています。
よいお年を迎えますよう心よりお祈り申し上げます。
新年もまた宜しくお願いします。
スポンサーサイト



プロフィール

トロロヅキ

Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
ブログ村の記事
ブログ村の歴史新着記事一覧です。 他所のサイトに飛びますのでご注意を。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR