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攻略!厳島合戦~博打尾

前回の写真の尾根が博打尾?
と疑問に思い、下の風景を見ながら進んだのですが、
対岸の宮島口の桟橋が正面よりも左に来たので、
ひょっとして行きすぎたんじゃないかと不安に思いながら進むと、
ちょうど開けた崖の先が!!
登ってみると
burogu博打尾を望む
「何か開けてる場所が見える!」
「うわあ!!神社の鳥居が見えますよ!!ここ!!」
「あ!あそこ塔の岡が見える!!!!」
「うわあ本当に見える!!」
と、見える見えるを連呼しながら写真をパチパチ取りました。
それがこれです。
burogu博打尾上の尾根から1
burogu博打尾上の尾根から2

神社の鳥居、そして陶軍の本拠が置かれていた塔の岡が、眼下に見渡せます!!
やった!ついたああ!!
ここが博打尾だ!!陶軍本当に丸見えだ!!
と二人で大はしゃぎしながら、下ると10分ほどで先ほどの平らな部分につきました。
burogu博打尾
意外と広くて平らなのでここなら兵士達が集っても狭くありません。
途中の道もそこまで急ではなく、下りなのでかなり楽です。
丁度、ベンチもあるから見渡しもよいのかと思いきや、
めっちゃ悪かったです。
基本、この登山道はよく意味のわからないところにベンチがありました。
まあそれはさておき、勢いづいてさらに降りるとありました。
看板が!!
burogu説明板・博打尾

「風雨こそ治ったとはいえ、暗闇の中を、2千余りの毛利軍は険しい山をよじ登り
 包々浦からやっとこの尾根にたどりついた。
 元就は傍らの兵にこの地の名を尋ねて、博打尾と聞くと
 
 「昔、源義経は勝浦に上陸して平家に勝った。
  今、吾等はこの博打尾にのぼった。
  博打はうつもの、この戦はもはや打ち勝った!!」
  
  と将士を励ました。
  一方、陶晴賢はこれを夢にも知らず本陣を五重塔のそびえる「塔の岡」に置き、
  二万の精鋭を各所に配置し、右前方の宮尾城(要害山)に相対すると共に、
  毛利軍の上陸を待ちかまえていた。
  こうして弘治元年10月1日未明、日本三大奇襲戦の一つといわれる
  「厳島合戦」の幕が切って落とされた。」(看板の説明より)

やっぱり博打尾だ。着いたぞ!
とはしゃぎながら、この文を読む間もなく、景色を堪能し、
木の隙間から下がよく見える所はないかと探すと
看板過ぎたところにベストポイントがありました。
burogu博打尾からの眺め・神社

矢印の所が陶軍の拠点があった場所です。
実際、後になって詳しい陣地図を見ると
弘中軍は博打尾に陣取っていたようなので、
この看板付近ではなく、もっと上の一番先に神社が見えたところ辺りに
毛利軍は待機していたのではないかと思います。
ただ写真をご覧になるとわかるようにここから下までまだ結構ありそうです。

ここで鬨の声をあげて下まで間に会うのか?

と疑問に思いながらも歩いて行くと、突如、赤い橋と人が!!
「?あれ?これ紅葉谷?」
「ええ?もう着いた?」
首をかしげながらも、赤い反り橋は見まごうことなく紅葉谷の名所の橋です。
何より、人がいる!!
山道では3組ほどしかすれ違わなかったので、まるで山人が里に降りた気分です。
さっきまで「打倒!陶軍!」と戦国かぶれ真っ最中だったので
急に現実に戻されて変な気がしながらも時計を見ると

12:20分

なんと、先ほどの博打尾の看板の所からわずか20分で降りられました。
走ったわけでもないのにかなり早いです。
これなら博打尾で鬨の声をあげても十分奇襲できます。

ただ、包々浦から博打尾どこ?どこ?と迷い迷い進んでいたので
博打尾ついてから紅葉谷までが本当に呆気なかったです。
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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