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小笠原氏の城跡

世界遺産に小笠原諸島が登録されたと聞いて
4月中旬に湯谷温泉行った時に写真を撮りまくったのに
そういや書いてない!!
と気づいて今更ながら小笠原氏特集です。

まず、湯谷温泉の真正面にある看板から

湯田周辺図

まず湯谷温泉の建物の前にある馬場です。

馬場あと

段々畑になっていますが、
結構平らで広いです。
ただ、やはりこれでは狭かったのか
もう一つ馬場があり、
すぐ側に後馬場があります。

後ろ馬場

こっちはとっても広いですので
主に使っていたのはこちらではないかなと思いました。

ただ、看板を観る限り、周辺の城跡はすべて
見張所跡とされるので馬場がこんなに必要なのか?
と疑問だったのですが、
馬場と後馬場の位置から、
小笠原氏の菩提寺である長江寺が城として機能を果たしていたのでないか?
と思います。
実際、寺の石組をみると加工した石を使って組んであり、

寺の石垣

高さもあります。
そして、長江寺ですが
お寺
立派な鐘楼があります。
扉には中世安芸でも流行っていたのと同じ文様があるので
室町期の建築様式のままではないか?
と思われます。
寺の扉
で、お寺の中にはお墓が3つ並んでおり、

お墓1

右端は
「石州邑知郡湯谷邑熊谷□吉衛門
 奉巡護為立世安楽
 頼主□治比丘尼 俗□り口」
真ん中は崩れて見えませんが
左端は
「小田村馬守裁小笠原(削れて判別不能)
 姓憂谷家正功成高遂而□無
 家傅正源居士
 □午憂谷□□□本州小田姪
 慶長11年丙午閏五月九日□未」
お寺の後ろにもずらああっと墓地が並んでいるのですが
全てお坊さんのお墓である帽子型のお墓でした。

で、気になるのが右端の熊谷さんです。
比丘尼とあるから建てた方は奥さんだろうと思います。
俗名が削れて読めないのが非常に残念です。
戦国時代の女性の名前はほぼ伝わっていないことが多いので
何とか読めたらいいんですが・・・。
あと、これがいつ建てられたか、
横の碑銘が見えないので判別できなかったのですが
恐らく小笠原氏が毛利氏に服属した永禄五年以降なのは確実です。

で、右にあるのが小笠原氏のお墓ですが
姓は憂谷(湯谷)とあるので小笠原氏の傍流と思われます。
こちらは慶長11年とあるので
関ヶ原後に湯谷氏は帰農し、この地で亡くなったと思われます。
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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