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頓原ラムネ温泉と瀬戸山城と山城等

さて、そんなこんなで三瓶を目指します。
瑞穂から川本へ向かったのですが、
車で30分ほどで小笠原氏の領土につきました。
その間に山城らしきものをみつけたので
取ってみました。
川本へ向かう道の城

まず、この真ん中の山ですが、
ぽこっと上が出ていて、段々になっています。
おそらく一番上が本丸で、頂上から少し下がったところは2の丸だったのではないかと
思われます。あくまでも推測です。

川本へ向かう道の城2

次に鉄塔が建っている真ん中の山ですが、
他と比べて頂上部分が極端に平坦です。
まあ、鉄塔建てるのに切削した可能性もありますが、
鉄塔以外の場所を平にする意味はありません。
よって鉄塔の左部分はもともと平らに削られていたと考えられ
城跡ではないかと考えられます。

地理的に考えると小笠原氏と高橋氏の領土の境辺りなので
城があってもおかしくはないと思います。

※zrx1200s城様から
付近には雲井城やその支城があると教えて頂きました。 
そのどれかかもしれません。


で、三瓶へ行ってサヒメルと埋没林を見た後、
頓原(とんばら)ラムネ温泉へ向かいました。

頓原ラムネ温泉

この温泉自体は比較的新しいのですが
世界屈指の炭酸泉と言われる大分長湯温泉に含まれる
二酸化炭素含有量の1300pmを越える1400pmという数値を持ち、
隠れた名湯とも言われます。
で、お湯は炭酸泉らしく、入ると湯谷のように
体にぷつぷつと細かい泡がつき
ちょっと入っているだけで体が芯からじんわりしました。
人も少なく、2組ぐらいでのんびりと入れます。
オーナーのおばちゃんも気さくで、
個人経営だからなかなか儲からんのんよね、
と愚痴りながらも、
温泉経営者の語る一押し温泉を教えて貰いました。
効能は炭酸泉なので血管拡張によって血液循環がよくなる
とのことだったのですが、肩こりがウソのように消えてました。
お肌がどうのこうのという薬効は無かったのですが、
オーナーのおばちゃんの肌がつるつるしているのが証拠だと思います。

あと施設の掲示板に
「衣掛(きぬがけ)城を登る!」
というツアーの案内が!
おお!と思って日付とみると7月3日・・・。
まあ、でも帰り道に通るから遠目で見られれば充分かと
帰路につきました。

で、赤名峠を通って三次に出ることになりました。
多分これって尼子氏の郡山合戦ルートだろうなと
道を辿りました。
尼子軍は郡山合戦で敗退する時に雪のために
多大な被害を受けたとあるのですが、
それを裏付けるものが道路にありました。
雪道対策

まず、これです。
名前は知りませんが、雪がえっと降る地域のみにある道路標識の一種です。
冬季に雪がたくさん積もっても道の端が分かるようにと
つけられるものです。
正直、北海道行った時以外で初めて見ました。
まあ、広島も備北行けばあるとは思うんですが・・・。

縦信号

あと、豪雪地帯特有の縦信号です。
横だと雪の重みに耐えられないので
雪がたくさん降る地域はこの形です。
つまり信号機から考えるに、ここらは
新潟とか北海道並みに豪雪地帯と言え、
旧暦の1月、今で言う2月にここを通るのはかなり厳しかったのではないかと
思いました。

で、立ち寄った赤名峠の手前にある道の駅の駐車場に
こんな素敵な看板が!
赤名瀬戸山城

「赤穴瀬戸山城跡
  赤穴瀬戸山城は赤穴氏の居城として衣掛山に作られた中世の山城です。
 出雲・石見・備後の国境に位置する事から各時代を通じて重要な役割を果たし
 江戸時代には堀尾家の重臣・松田氏が入城、石垣を築くなどの整備を行いました。
  現在地から登山口までは徒歩10分、登山口から本丸まではおよそ30分。
 登山道が整備され、本丸からは赤名地域が一望できます。」

赤穴も赤名も両方、「あかな」と呼びます。
で肝心の城がこれです。

赤名瀬戸山城外見

これを見る限りかなり整備されています。
一見の価値はあるなと思ったのですが、
親を置いて山登りしたら、私の方が置いてけぼりくらうので
今回は断念しました。
いやあ、整備されている今の内に是非登りたい!

で、赤穴氏ですが、
出雲の国人で出雲10旗と呼ばれる尼子氏の居城月山富田城の防衛線である
重要な拠点を守っていました。
実際にこの城を舞台に戦われたのは尼子氏と大内氏の戦いで
看板に詳しく載っていました。

「尼子氏(安来市広瀬町 月山富田城)と中国地方の覇権を争う
 周防の戦国大名・大内義隆は天文11年(1542年)正月、
 自ら総大将となって尼子討伐軍を興した。
 大内軍の襲来を前に、出雲の諸豪族が大内方に降る中、
 赤名氏(飯南町赤名 尼子方)は尼子への厚意に報いるべく
 大内軍との戦いを決意する。

 天文11年3月、赤穴攻略を前に、石見出羽二つ山城に集結した大内軍は
 毛利元就らの安芸勢をはじめ、石見・備後の諸将を合わせ、4万の大軍になっていた。
 
 これに対し赤穴氏は神戸(かんべ)川を堰き止め、城下を湖水化。
 尼子氏の本拠地、月山富田城からの援軍1000を併せ、
 2000の兵で籠城戦を展開し、地の利を活かして大内軍を翻弄する戦いを繰り広げた。

 2か月に及んだ攻防戦の末、赤穴瀬戸山城の城主・光清は戦死、
 城は開城したが、出雲攻略の緒戦となったこの戦で
 大内軍を長期にわたって足どめしたことは、
 来るべき月山富田城における決戦で尼子方を勝利へと導く要因となった。」
(看板説明より)

後、毛利元就が尼子氏討伐の軍を挙げた時にも
ここは出雲計略の真っ先に位置しており、
毛利軍は背後の武名々平山へ陣所を構えました。
もっともその時は戦いはなく、赤穴氏は毛利氏に臣従。
朝鮮出兵の後、名を中川と改め、長州藩士として以降へ続きます。

いいものを見つけたと
満足して帰路を三次へ向かいました。

続く
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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