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春霞集もとい毛利元就詠草集解説その1

グーグルブックスに公開されている、
「続群書類従 3上(神祇部)」
著者: 塙保己一,太田藤四郎
を教えて頂いたので考察してみることにしました。
太字斜体が毛利元就の歌、地の文が三条西実澄の批評文です。
カッコ内の現代文は私訳です。

「大江元就詠草
 三位陸奥守大江元就

 歳内立春
      いつくより 年のこなたの春霞 立きてけふの色をみすらん
     (まだ年が明けきれていないのに、いつのまにか春霞が立ちだした。
      私もさっそく外へ出て今日の景色をみてみよう)
 元陽先撥して年のつくるまたす。和気うかへるよし言外に現る。
 (初日の出によって年が改まり、その華やいだ雰囲気が歌から感じられます。)」

題にある歳内立春ですが、本来立春がお正月になるため
立春がくれば年が明けるはずです。
しかし陰暦では閏月によって暦を調整していたため
時々年がまだ明けていないのに立春がきたことを歳内立春とし
春の題として扱ったようです。
この歌が歳内立春とわかるのは「年のこなた」
つまり「年よりも先」と歌内にあるからだと思います。

    
「春立ける日鶯を聞きて
 (続いては立春がすぎて鶯の声を聞いた元就公が詠まれたのでしょうか。)
      あら玉の としはいつかと思ひしを けさ待えたる鶯の聲
      (年があけるのはいつかいつかと思っていたら
       いつの間にか明けていたのか
       今朝は待ち構えていたように鶯が鳴いた。)
 四序の時をたかへさるは聖代の瑞之。されは幽を出る鶯も春にをくれぬさま尤感あり。
 (四季がきちんと巡るのはその為政者の手腕が優れている瑞兆です。
  よって山奥から出てくる鶯が春の訪れに遅れないのも彼の政治手腕を考えれば
  尤もなことと思います。)」

「あら玉の」は年にかかる枕詞だと思いますので特に訳す必要はないかなと思います。
超意訳すれば
「おお、鶯がないたの~。いつのまにか年が明けとったんじゃな~。」
というまったり感半端ない歌なのに三条西さんはなぜかベタ誉めしています。
どこにそんな要素が・・・?
  
     
     玉簾まくてふひまのなそもかく鶯の音に立うかれけん
     (簾を開けて外へ出る暇さえないのに
      どうしてもこうも春の訪れの鶯の声に浮足だってしまうのか。
      しかしそうもできないこの身のつらさよ。)
 詩中に□あるかをし」

「うかれけん」ですが、これは百人一首の「うかりける人を初瀬の~」(略してうかれはげ)と
同義の「憂し」の意と直前の「立ち~」から現代の意でもある「浮かれる」をかけたことばと思われます。
超意訳すれば
「おお!鶯の声が聞こえた!めっさ外行きたい!」
ってところでしょうか。肝心の三条西さんの言葉の漢字が潰れて読めないのですが
多分詩の中にそう言った心情が直に表れているのが面白いという意味で批評していると思います。
あと、批評部分の「かをし」は変です。恐らく原文は「をかし」だったんではと思います。

※藍様から
 □の字は画の旧字体で文例として「詩中有画」詩中に画ありとして使い
 「を」は”こと”とも読むのではないか
 なので「詩中に画あるかをし」は「詩中に画がある如し」
 ではないかと御意見を頂きました。
 ありがとうございます!!


とりあえず、以上の三首から春がとっても好きなのが分かります。
それと基本のんびりと待ち構えていますが
鶯の声にそわそわしたりと落ち着かない元就さんの姿が目に浮かびました。


     天津空 くもらす照す春の日に 霞たなひく風の長閑さ
     (快晴の春の空、霞がたなびくほど風ものんびりしている。)」
 たけたかき體といふへし。
 (空の高さと自身の意思の高さを兼ね備えた堂々とした詩です。)
     春はただ あくかれ出んと計も 霞もまかふ遠近の空
     (春だから、ぶらぶらと外へ出ようとしたら、遠くの空が近く感じられた。
      春の霞も空の近さに戸惑っているんじゃないんだろうか。)
 野遊びの道を霞の流れるさま。
 眼前の風景なり。
 (春の野遊びの道でみた霞が流れる様子がよくわかります。
  まるで目の前にその景色が広がってくるかのようです。)
     いつはあれと風静なる春の夜の霞たな引有明の空
     (出てこいと願っている風の静かな春の夜に霞がたなびく有明の空)
 静中に動あり。
 (静かな中にも動きのある詩です。)」

いずれも霞をテーマにした春の歌です。
「天津空~」は出だしがカッコ良いですが最後が「風ののどかさ」
とシメテおり、のんびりとした春の歌になっています。
「くもらす」は恐らく「隈なく」と同義と思って訳しています。
あとこれは「天津風雲の通い路吹きとじよ」
に関連した歌ではないかと思いました。
「天津空 くもらす」は天津と雲をかけていますし
乙女の姿をしばし留めんと願う元歌は風よ強く吹け!
ですが、ここではその風がのんびりと吹いているとし
春の長閑さの対比が上手にできているなと思いました。
尤もこの時代小倉百人一首がどれほど知名度あったかは分かりませんが・・。
また2首目の歌ですが「あくかれ出ん」は
「あくかれありく」「憧れ歩く」に相当すると思われ
「何かに心を惹かれて家を出て憑かれたように歩き回る。」
と同義で春の陽気についふらふらと家を出て歩いていたら
ふと空を見上げると冬に比べて空が近くなっているのに気がついた。
そんな意に捕えました。
また「霞もまかふ」は
「霞に~」であれば霞と間違えるほどという意ですが
「霞も~」としているので霞も同じようにと考えられ
元就が霞も自分と一緒に空との距離を間違えるんじゃないかと思っているほほえましい詩だと思います。
三番目の「いつはあれ」の「出てきてほしい」というのは
有明の月ではないかと思います。
早く出てこい!と月を待つ元就と周りのゆったりした春の夜の差が
面白いなと思いました。
あと三条西さんのコメントがかなりムラがあって面白いです。
なんでこの歌でそこまで誉める??と思うのがあれば
この詩好きなのに一言かい!というのもあって訳すのが楽しいです。
あと本当に眼前にその句を浮かべやすい詩だと思いました。
霞の一首目と三首目は特に「ああ、こんな景色だろうな」
とぽんと情景が浮かびました。

続き
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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