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「『一揆の原理』~日本中世の一揆から現代のSNSまで」感想~毛利元就の一揆とその政治体制について考~

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで
(2012/09/26)
呉座 勇一

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冬休みの課題!
ということで、本屋でみかけたこの本をお正月に読みました。
・・・。
冬休みもう終わって3週間目です。
一月は行くと言いますが
本当に早いものです。

まあそんな愚痴はさておき、
元就さんを研究というか、
安芸が最も勢力を拡大した時期を研究する上で外せないのが

一揆です。
毛利元就は戦国武将として中国地方を制覇しましたが
実際には国人一揆を中心にした一揆のリーダーに過ぎませんでした。
なので大河の「毛利元就」でも安芸国人一揆は出てきたんですが
「国人一揆」と言わず、「国人領主連盟」と言い変えてました。

わざわざ大河で言葉を言い変えたのは
一揆と言えば、普通はお百姓さんが鎌持ってお代官に訴える
いわゆる土一揆を想い浮かべる方が多いので
お茶の間でも理解しやすいようにとの配慮だったそうです。

ではそもそも「一揆」とは何か?

この本はまずそう言った一般的なイメージの「一揆」である
重税に苦しむ百姓が徒党を組んで代官所を襲うという「土一揆」から
本来の「一揆」である中世の様々な「一揆」の形態を幅広く紹介しています。
専門書というより一般書というつもりで書かれたようなので
読みやすいなあと思いました。

まず「土一揆」ですが、何で百姓が鎌で武装するのか常々疑問だったのです。
鎌しか武器がなかったわけでは決してないのです。
昔話を聞いていると必ず火縄銃を使う猟師が出てきて、
あれ?武士以外も武器持っとる?
と大いに疑問だったのです。
特に安芸の場合、関ヶ原後、防長に移住せず、
地元に残った土豪や国人もいることや
兵農分離がそこまで進んでいなかったので
県北に行くと刀や銃を持っている家も結構あったと聞きました。
それなのに彼らが武器を持たず、
「武市騒動」では鎌で武装したのはかなり疑問だったのです。
本書には、それは百姓という身分を利用して上に訴える
という体制内での権力者への訴えであり
本気で幕府を倒そうとか、藩主を追い出そうという
体制を覆すものでなかったという考えに、
なるほどなあと思いました。

こうした「一揆」らしい「一揆」を起こした農民達ですが
「一揆」と自らを名乗らなかったというのも興味深いなあと思いました。

で、「一揆」ですが、
最も一揆が盛んであったのは中世です。
その種類も様々で、国一揆、徳政一揆、一向一揆などが代表的ですが
連歌講が実は一揆の一種の形であったのは驚きでした。

まず、「講」という言葉。
これは一向一揆で名高い浄土真宗で使われる言葉で
安芸では「報恩講」などが今でも県北では行われています。
門徒が寺に集まって、集会を行う。
その点では中世の「一揆」と変わらない部分が見られ
「講」は今でも続いている「一揆」の稀有な例ではないかなあと思いました。
なので「一揆」が対外交渉時の姿であるとすれば
「講」が平時の姿というのがすごく納得できました。

それと「連歌」。
元就さんの場合、戦場の暇つぶしで催していたり
宮島で何かあるたんびに詠んでたりと
死ぬ前に自身の歌を編纂してりしていて
もう完全趣味の領域なんですが、
本来、連歌は前の人の歌を次につなげて作品を作っていくもので
一人ではなく団体競技ともいうべきものです。
その連歌と一揆の関係が詳しく説明されていました。
一揆は参加者がみな対等の関係であることが条件となります。
その平等性が連歌にもあったからこそ
連歌は一揆の団結力を高めるために利用されたんだろうなあと思いました。
実際、
「日くらしの なくより月の ほのめきて 
         いまこむ秋を まつかせのこゑ」

などは訳していて
「うわ、これ即効で違う人が詠んだにしてはぶちええ!!」
と連歌の奥深さに感動して、ちょっとやってみたいなあと思ったぐらいです。

あと一揆契約の仕方も面白かったです。
「一味神水」は知らなかったのでそういうのもあるのだと驚きでした。
そして国人というか武士階級の一揆契約状も
安芸以外のはあまりみることがないので勉強になりました。
特に九州の今川了俊の回覧した一揆契約状は
南北朝時代のものながら応永の国人一揆と似た内容で
問題が起きたら相互に解決する事等
一揆は自治組織の面があるのは共通何だと思いました。

ただ、名目以上順不問とはいえ、
応永、永正の一揆契約状では順不同の連署であるのに、
本書でも一部取り上げられていた毛利元就の弘治の一揆契約状は
なぜ、からかさ連判なのか?
からかさ連判はそれこそ”一般的な”土一揆で
農民達が、一揆の首謀者は誰か分かりにくくするために作られる
と説明を受けた方が多いと思います。
しかし、元就さんが結んだ弘治の一揆契約状は武士階級。
しかも今までの安芸国人一揆と違って、
大内氏と幕府の狭間で苦慮して団結したものではなく
厳島合戦の大勝により、戦わずとも内部崩壊の加速が進んでいく周防・長門の平定戦。
しかも長年辛苦の原因となった国へ入りこむ初めての侵攻戦。
勝ちに酔ったのも無理はないのですが
兵士たちの乱暴な行為もあったようでそれを禁じるために出されたのが
このからかさ連判の一揆契約状です。
なので「誰が首謀者か分からなくするため」では
説明がつかない起請文ともいえます。

それと、この起請文の変な所は本当は力関係が平等じゃないところです。
元就さんは厳島合戦で大勝をおさめたので国人の中でも抜きんでたので
ここで相互平等の一揆契約というのが妙なのです。
安芸の支配に大きく影響していた大内家を倒し
周防・長門の平定を行っていたので、
安芸の支配者として周防・長門の地を約束に国人達に主従関係の契約を行い、
他の国人衆の兵士が起こす乱暴狼藉を厳しく取り締まることもできたはずです。
しかしそれをせず、あえて以前よりも平等性を国人衆にアピールして
みんなで一緒に取り締まろうや~。
とした。
それは、あんまり人より目立ちたくないという元就さんの性格もあったと思いますが、
一揆の大前提は平等性だから、あえてからかさ連判に書く事で
今後も国人一揆としてみんなで対等にいきたいと思っていたのではないかなと
この本を読んで思いました。 
だから、和歌に友を詠んだ歌があるのも、
みんなでする連歌が好きなのも
一致団結を諭す「三本の矢」も「百万一心」も
すべて根底に一揆の平等と団結があったからと考えると
一揆こそ元就さんの政治体制であったんだろうと思いました。
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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