FC2ブログ

黒田官兵衛巡り~お父さんの上司の城・御着城~

翌日、レンタサイクルで国道2号線をひたすら突っ走り、
御着城まで行きました。
平地で道がひたすらまっすぐ伸びていて、
一体どこに城が?
と思っていたら少し坂になったところにありました。
歩道橋の上に旗が。

P2110668.jpg

へえ、と公園に向かうと

P2110663.jpg


御着城跡と書いてあり、天守閣を模したものがありました。
とりあえず、自転車を置いて歩道橋にあがると

P2110670.jpg

こうして城跡を一望できます。
グラウンドのほうは二の丸跡らしいです。

P2110669.jpg

そして本丸。

この天守閣を模したのは公民館らしいです。
官兵衛に関する冊子などもこの中にあり、
天守にも上がれるそうなんですが、
今日は休館日らしく入れませんでした。

それから、歩道橋を渡った公園も本丸だったようで
今は国道2号線がぶったぎっているようです。

模擬天守がないほうの本丸はこんな感じで
こちらも公園になってます。

P2110664.jpg

ここで、ボランティアらしき方々と子どもがいてでした。
話を聞くと、来年の大河を見越し、
子ども達も地元ボランティアとして参加するために練習を行っていたようです。
そのまま誘われて、子ども達からこの御着城の事について教えてもらいました。
余談ですが、大人の方々は元・同業者。
いいなあ、うちも退職してこういう事したいなあ。
としみじみ思いました。

まあ、それはさておき、
kodera.jpg
小寺大明神。
子ども達の説明とボランティアの方の補足説明によれば
この神社は御着城主であった3代の小寺氏を祀ったもので
現在でも4月29日になると小寺家と家臣の黒田家・天川家の子孫の方々が集って
法要を行っているんだそうです。

そしてこの神社の隣にあるお稲荷さん。
これは元は城主が必勝祈願を行っていたお稲荷さんで
正勝稲荷神社というんだそうです。

それと神社の脇にあった五輪塔。
これは御着城が攻められた時に亡くなった戦死者の供養塔と言われ
向かいの公園が昔小学校であった頃に工事中に出てきたんだそうです。


それから橋を再び渡って今度は黒田家の霊廟へ。
まずは立派な門の説明・

P2110661.jpg

真ん中のが黒餅で竹中半兵衛と交換した家紋。
そして両側は藤の巴紋です。
藤の紋は、官兵衛が幽閉された時に勇気づけられたからという説もあるようですが
もともと藤は小寺氏の家紋だったのもあるそうです。
なので藤巴紋にした由来はよくわかってないようですが
黒餅を家紋にしたのが半兵衛さん関係なら
巴にしたのは隆景関係ではないかなあと思いました。
あれだけ(例・黒田家譜)入れ込んでいるので
隆景信者といっても過言じゃないぐらいの官兵衛なら
それぐらいしそうだなあと思うのです。

P2110660.jpg

向かって左の五輪塔が黒田官兵衛の祖父のもの
右が黒田官兵衛の母・明石氏のものなんだそうです。
普通五輪塔で祖父と母なんてことはないんですが
祖父の方はもともとここにあったそうです。
母の明石氏はもともとはもっと山の側の寺にあったのが
土砂崩れで寺所が崩壊。
行方不明になったため、捜索をしたようですが見つからず
後年村人が見つけたものをここに合祀したそうです。

じゃあ、官兵衛のお父さんの墓というか五輪塔は
というとここではなく別の場所にあるんだそうです。

こうしてボランティアの子ども達に説明してもらい
ぐるっと回った所で黒田官兵衛と御着城の事について
詳しく話を聞かせてもらいました。

まず、この御着城。
地名から天川城ともいい、かなり大きな平城だったようです。
姫路に本拠を置いていた小寺政隆は、永正9年に城をこの御着に動かしました。
多分、畿内の船岡山合戦を受けてかなあと思います。
で、姫路の城は子の則職(のりもと)に渡しました。
この頃、黒田官兵衛の祖父・黒田重隆は備前福岡から姫路に出て
小寺重隆に仕えたとされます。
元は目薬を売る商売をしていて、というのが定説です。
・・・・。今は。

で、天文14年に姫路城代を八代氏から黒田重隆に変え
翌年に黒田官兵衛が姫路城で生まれたとされています。
・・・・・今は。
そのため、官兵衛は父に連れられ
主君の小寺氏の元へ通ったのではないか。
途中の天川で魚を取ったり、馬場で馬の稽古をしたり、
ここ御着はそんな少年時代を過ごした場所なんじゃないのか
と案内人の方は仰ってでした。

この事を大河の台本を書く方にも話したらしく
じゃあ大河ではここらの事も出るのかなあと思いました。
あと、前年大河だった広島の今の観光の事を聞かれましたが
ううん、まあ確かに観光客数が増えたのはそうですが
そもそも宮島は日本三景で観光客多いので急に増加したというより
緩やかに増加した感じでしょうか。
まあ海外のお客さんが多いし・・・。

あと、今年の大河も主演は広島出身じゃし、
黒田さんの時も隆景さんはでるじゃろうけえ
三原は出るんだろうなあと思っているから
そんなに大河ブーム終わったと思ってないかもです。

まあ、一番の大河ムードは元就さんの時じゃろうし、
最初に大河でわあと盛り上がったのは新・平家物語の時じゃって聞いたし・・・。
まあ西国方面が取り上げられて何よりです。

で、この公園の奥に面白いものがありました。

P2110673.jpg

二の丸の土塁でしょうか。
はっきりと土盛ってます。
それと、堀跡。

P2110671.jpg

公園の裏に広がる道路は元々こうした堀跡を埋めたてたようで
結構はっきりと遺構がみえます。
鍵型の道路=戦国時代の遺蹟です。

それとこの橋も面白い由来があって
柱には詩文があり、ひょっとしたら頼山陽の作かもしれないんだそうです。
まあ、山陽さんにしては黒田官兵衛の事が無いから
姫路藩の儒者の方のほうが高いかもしれません。

この御着城、詳しく説明して下さる方がおっちゃったので
大変勉強になりました。
御着史跡保存会の皆さま、本当にありがとうございました。

もひとつおまけ。
P2110674.jpg
道路の奥の山。
火山あるいは神楽山とも呼ばれている山で
ここに秀吉は陣をはりました。
山の上で攻めるのに苦労したようですが
弓の強者がいて、彼が放った矢が本陣にある秀吉のせんなり瓢箪にあたり
慌てた秀吉は一旦山の更に奥まったところに引っ込んだんだそうです。
しかし、奮戦やむなく御着城は落城。
小寺氏は降伏し、毛利氏を頼って鞆へと逃げました。

・・・。
ん?小寺さんって聞くなあと
名字・地域ランキング
http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp
で観ると・・・。

おお、やっぱり鞆のある福山に多い!
降服した小寺政隆の行方は分からないとされますが
多分、生き伸びてますね、これ。
隆景に名乗り出れば多分官兵衛さんも喜んで召し抱えたと思うんですが
まあ、でも家老に召し抱えられるぐらいなら
草露を凌ぐほうがましと思ったのかもしれませんなあ。
スポンサーサイト



プロフィール

トロロヅキ

Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
ブログ村の記事
ブログ村の歴史新着記事一覧です。 他所のサイトに飛びますのでご注意を。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR