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元就弁当を食べ行く会~吉田散策と春霞集の編集ミス~

お弁当・・というよりも戦国大戦のカードの後、
吉田町内を案内しました。

吉田は戦国時代の区割りがわりと色濃く残っており、
辻がはす向かいになるなど、
敵に攻められにくい工夫がしてあります。
なので現在は、
道の先が見えん!横が見えん!!
運転しづらッ!!!

という道になっています。

参考までにこちら
巡礼堂縄手


で、所々往時をしのばせるものが・・・。
P5261158.jpg
P5261157.jpg

広島には「~市」という地名が多く、
これらはすべて「~いち」と読み、
かつて定期市が開かれていた地名として残っています。
吉田には「三日市」のほか「六日市」も残っています。
また、宮島から西国街道にかけて「五日市」「廿日市」「十日市」
などが残っています。
余談ですが、「五日市」は「広島市佐伯区五日市町」
「廿日市」は「廿日市市」(はつかいちし)
と市なのか町なのかわかりにくいし、
非常に読みにくいと余所から来た人によく言われます。

さて、この道をまっすぐ行くと祇園縄手。
いつものようにサンフレカラー、
紫に染まる清神社を案内しました。
本当にサンフレ一押しですね。
と驚かれていましたが、
・・・まああれは現代の毛利軍(ほぼ公認)ですから。
多分、サッカーに大将というポジションがあったら
何のためらうことなく毛利元就になるんだろうなあと思います。
いっそ全試合でホラ貝開始でいいと思います。
サンフレ戦だけでも。

で、清神社へ。
御存じのとおり元就さんの必勝祈願場所。
実際ほぼ全て勝っている霊験あらたかな神社です。
サンフレを2度のJリーグ優勝にも導いている神様です。
余談ですが、カープの必勝祈願は元の厳島神社に戻せばいいんじゃないか。
とうちらの周りではささやかれてます。
カープあるあるで
「厳島神社は女の神様だから、堂林選手辺りを生贄お参りさせたら勝つんじゃないか」
と書いてありましたが、私も賛成です。
せっかく
「宮島さんの神主さんがおみくじひいて言うことにゃ~♪
 今日のカープは~♪、勝~ち、勝~ち、勝ッち勝ち!」
という歌があるんだからもったいないなあと私も思います。

で、何気なくとった清神社の正面

清神社正面

・・・!!
鯉がいる!!?

額でしょうか、それを挟むように2匹の鯉が鈴の奥の所に居ます。
へええ!!今まで気づかなかった!!
写真を見返していて今気づきました。
うわぁほんまにカープネタがあったと驚いています。
サンフレの旗が翻る中にある鯉。
紫のユニフォームに赤い帽子をかぶる我々と
どこか通じるものがあります。

で、隣の小さな社。
P5261151.jpg

元就さんの育ての親、杉の大方様を祀っているお社です。
大方様は記述見る限り、結構教育熱心な方だなあと思います。
で、彼女が住んだのがこの社の大杉のそばだから
杉の大方様と呼ばれたんだそうですが
多治比からわざわざ呼んで隠居所を建ててあげたんだろうなあと思います。
本城にも近く、結婚した後もきちんと面倒をみていたんだろうなあと思います。

その後、ぐるっと回って旧本城を見つつ
吉田小学校の裏手から
登山口へ。
・・・本当は清神社の横からすぐ行けるんですが
何分山道なので迂回しました。

そしてついたのがここ

P5261153.jpg

山の中にぽっかりと庭があります。
ここは興禅寺というお寺だった場所です。

P5261152.jpg

今ではお寺はないのですが
市内に移っているそうです。
・・・というより大正時代のお庭かあ・・。
逆にレアな気がします。

あと、春霞集で訳した時に
興禅寺って少し離れた所にあるお寺だと思っていたんですが
郡山麓、しかも清神社のすぐ横とは思いも寄りませんでした。

というのも
「かく計 情あるしの宿なれは 花の色香をなににたくへん」
とあって、
「こんなに思いやりのある主の宿だから、
 この花の美しさをいったい何と比べるというのだろうか。
 それと同じように貴方を比べようのない大切な人だと思っている。」
という感じの歌なので、宿=泊る場所と思っていたのですが
こんなに近いのになんで泊っているんでしょうか・・・?
ひょっとしてこれって紀貫之の
「ひとはいさ心もしらずふるさとは」
を元ネタに貫之の宿の主は心知らずだが
貴方はそうでなく、情のある主であるね
と言いたかったのかなあと思いました。
・・・もしくは城の上まで上がるの大儀いと思って
時々ここに泊っていたか。

あ、あと「花」は桜だと思っていたら
禅師さんの漢詩だと「梅」なんですね。
色香はとくるのでてっきり桜だと思っていたんですが
そうか、梅だったのですね。

後で訂正しておきます。
っていうか、編集した三条西さんも
これは「櫻」だと思っているからあの順にしたのでしょうね。
前後はどう考えても桜の歌なので。
ただ、この花が「梅」である。
ということは紀貫之の「花ぞ昔の香ににおひける」
をやっぱり受けて詠んだのだろうと推測できます。
青柳の歌といい、割と最近元就さんの歌は紀貫之さんの歌と重なる部分が多いことに気づき、
紀貫之さんをリスペクトしていた時期があったのではないかなと思うのです。
紀貫之さんかぁ・・・土佐日記でも読まんといけんのんかな・・・。

話が飛んでしまいましたが
この後、吉田町内探索をして
サイダー買って瓶を戻すとお金をキャッシュバックしてくれる
昔ながらの商店を目指したんですが
おばちゃん、今日は孫の運動会にでも行ったのかお休みでした。
シマムラが臨時休業の時点で気づくべきだった・・・。
さすがにイズミはいつも通り開店していたので
一休みするためにイズミに向かいました。

その途中のお店

P5261155.jpg

ここのお菓子、
安芸高田市のお土産グッズにもあるお店で
たまたま開いていたのでお土産買っちゃった方がいました。
今度買いに行ってみよう。

商店街はシャッターに毛利元就関連の絵が
大きくアートされていて
なかなか面白いのです。

最後にこれを
櫛田橋
清神社はスサノオノ尊が「清々し」と言ったから「すがじんじゃ」という名になり
日本書紀の注釈だと「安芸国可愛川上」あり、
ここが稲田姫に因む川でも全然おかしくないです。
まあ、多治比のような三文字地名自体が相当古い名で
大和政権に従った国は、鯉を己斐のように無理やり漢字2文字にさせられた
と考えるとここらは大和政権の権力がそこまで及ばなかったのかなと思うのですが
でも、郡山の名の通り、古代は郡がが置かれた重要地点。
と考えると僻地だったとも思えず・・・。
とすると何らかの特別な地であったと考えると
稲田姫の生家のあった場所であれば結構すんなり説明つくのかなあと思います。

余談ですが多治比自体が稲田(くしなだ)という名であって
そのまま戦国時代まで残っていれば
元就さん、稲田元就(くしなだもとなり)となって
尼子氏の出雲攻めるってことは
稲田姫が須佐男命を攻めたってことで
うわ、それはそれで
逆八岐大蛇!
と余計な事を考えてしまいました。

これにて元就弁当を食べに行く会レポは終了です。
お付き合いくださりありがとうございました。
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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