春霞集もとい毛利元就詠草集・発句の部その8~5月の初夏に~
「一こえはせめてきかしを郭公
此みちの口伝のをもしにて切り侍るのみならず
せめてきかしをにて、一声の残り大きの現れけるにや」
訳
「一声は せめて聞かしを ほととぎず」
歌意
「一声だけ。
せめてそれだけ聞かせてくれ。
ほととぎすよ。」
批評
「歌道に伝わる一子相伝の口伝というものがあるのならば
それを文字にしたかのように見事なもので
「せめて聞かじを」と倒置法を用いたことで
一声にこめられた「一回だけでも」という思いを強く表しているなと思います。」
元就さんと鳥といえば
「ホトトギス」
和歌の部からの定番です。
和歌にも同様にホトトギスが鳴くのを今か今かと待ちわびる。
「 山里は 聞きらん物を杜宇 うちねぬ空に侍ぞ侘びぬる
足引きの 山のはつかに子規ただ一声きくとしもなし
ねぬる夜に ただ一声の子規 夢かさめてかかすかなるそら
五月雨のはれまの空の月よりも わか待わふるほととぎす哉
あやなくも いくみしかよを子規待と計にあかしはつらん」
という和歌と同様に,ここの発句でも同様に
ホトトギスの鳴き声を待つ気持ちが込められています。
連歌の発句ですから、夜更けにみんなでお寺にでも籠って
連歌の会でも開いていて、その時に詠んだものかなあと思います。
それから里村さんが絶賛している
「せめてきかしを」
ですが、「聞かし」の「し」は強意の「し」で。
是が非でもという思い。
倒置法ににすることで確かに「一声」が際立っているなあと思います。
「かほり来て袖ひく澤のあやめ哉
あやめをこそひくへきに。
袖のひかるるかほり。
めつらしきかな。」
訳
「かほり来て 袖ひく沢の あやめかな」
歌意
「かおりが私を尋ねに来て
袖を引っぱるものだから
行くと沢のあやめが呼んでいたんだ。」
批評
「あやめの花が目をひく
というのが習いでしょうが、
袖のひかれる香りというのは
面白いですね。」
うん!面白い歌です!
香りに袖を引かれてってあたりが
ちっちゃい子に「ねえねえ。」と袖をひっぱるように
連れていかれているような感じでいいなあと思います。
ただ、あやめの花はそんなに匂うものではないので
控え目に誘っているのではないのかなあと思いました。
発句の部その7 野山の桜
その9 梅雨と暑中
此みちの口伝のをもしにて切り侍るのみならず
せめてきかしをにて、一声の残り大きの現れけるにや」
訳
「一声は せめて聞かしを ほととぎず」
歌意
「一声だけ。
せめてそれだけ聞かせてくれ。
ほととぎすよ。」
批評
「歌道に伝わる一子相伝の口伝というものがあるのならば
それを文字にしたかのように見事なもので
「せめて聞かじを」と倒置法を用いたことで
一声にこめられた「一回だけでも」という思いを強く表しているなと思います。」
元就さんと鳥といえば
「ホトトギス」
和歌の部からの定番です。
和歌にも同様にホトトギスが鳴くのを今か今かと待ちわびる。
「 山里は 聞きらん物を杜宇 うちねぬ空に侍ぞ侘びぬる
足引きの 山のはつかに子規ただ一声きくとしもなし
ねぬる夜に ただ一声の子規 夢かさめてかかすかなるそら
五月雨のはれまの空の月よりも わか待わふるほととぎす哉
あやなくも いくみしかよを子規待と計にあかしはつらん」
という和歌と同様に,ここの発句でも同様に
ホトトギスの鳴き声を待つ気持ちが込められています。
連歌の発句ですから、夜更けにみんなでお寺にでも籠って
連歌の会でも開いていて、その時に詠んだものかなあと思います。
それから里村さんが絶賛している
「せめてきかしを」
ですが、「聞かし」の「し」は強意の「し」で。
是が非でもという思い。
倒置法ににすることで確かに「一声」が際立っているなあと思います。
「かほり来て袖ひく澤のあやめ哉
あやめをこそひくへきに。
袖のひかるるかほり。
めつらしきかな。」
訳
「かほり来て 袖ひく沢の あやめかな」
歌意
「かおりが私を尋ねに来て
袖を引っぱるものだから
行くと沢のあやめが呼んでいたんだ。」
批評
「あやめの花が目をひく
というのが習いでしょうが、
袖のひかれる香りというのは
面白いですね。」
うん!面白い歌です!
香りに袖を引かれてってあたりが
ちっちゃい子に「ねえねえ。」と袖をひっぱるように
連れていかれているような感じでいいなあと思います。
ただ、あやめの花はそんなに匂うものではないので
控え目に誘っているのではないのかなあと思いました。
発句の部その7 野山の桜
その9 梅雨と暑中
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