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織田と毛利の入魂「御父さんと仲良くなれました!是非君に会いたいな!」

厳島文書収録の織田信長書状から
少なくとも天正8年までは織田信長は毛利氏と本気で戦うつもりはなかったのではないか?
むしろ秀吉が勝手に中国攻めを始めて、止むを得ない状況を作り出したのではないか?
と小早川家文書に残る信長書状を見ながらふと思ったのです。

そもそも、大河で秀吉が宇喜多さんと手を結んだと報告したら
勝手な事をするなと主の信長に足蹴にされました。
あれは「信長公記」が元なので、かなり信憑性が高いです。
加えて前述の厳島文書にも
天正8年と推定される手紙には
毛利氏との和睦を願う織田信長の使者が・・・という記述があるようで
両資料とも、宇喜多を信用しておらず、中国攻めにあまり積極的でなかった
「信長」を裏付けています。

では、信長は毛利氏とどういう関係であったか?
実は結構付き合いは長いです。
しかも敵対ではなく、最初は同盟関係だったようです。

小早川家文書262号
書き下し文(私訳)
「今度元就へ使節を以て申す所、条々御入魂、本懐候
 貴所執り申される之旨、観悦候
 自分の使僧、殊太刀一腰、銀子10枚贈り給い候
 懇慮の次第、謝り雖も候、今後別して相通られるべくの由、
 まこと晬啄(そったく)の至り候。快く然り候。
 是非とも面謁遂げ、述心緒くべく所存候
 猶一書の趣、生田寺へ申し渉しの条、具にあたわず候
 恐恐謹言

 2月13日              信長
 小早川左衛門佐殿 進之候」


現代語訳(私訳)
「今回、君のお父さんの元就さんへ使節を遣わしたんだけど
 使者が言うには、仲良くしようねって言ってくれたみたいで無事に本懐を遂げることができたよ。
 貴方が私と主に取り次ぎをしてくれるようで、とても喜ばしく思っています!
 隆景さんから使者を遣わしてくれて、太刀と銀10枚も送ってくれたね。
 使者も遣わしてくれて、こんなに素晴らしい贈り物まで頂いて、
 誠に申し訳ないぐらいだけど、今後もまた連絡をしあっていきたいなと思っていて
 本当に晬啄同時の言葉のように、親鳥が雛の孵りを助け、雛がそれに応えるように
 私の同盟したいという気持ちと同盟を組みたいという元就さんの気持ちが見事に呼応して
 とても気持ちがいいです。
 是非とも貴方と対面し、心にあること全部述べたいと思っています。
 なお、一筆、生田寺に預けている書状のことですが、必要ないことです。
 恐々謹言

 2月13日               信長
 小早川隆景殿へ 進め下さい。」


・・・ええっと、この手紙を要約すると

「お父さんと仲良しになれたよ!是非君にも会ってお話したいな!!」

何この子!!可愛すぎじゃろ!!!

・・・、元就さんに手紙書けっていわれたから書いたよ。
という手紙と言い、何だか毛利家に残っている手紙だと
信長さんの発言が可愛すぎる・・・。

信長像が大いに狂ってきた今日この頃ですが
少し真面目に話を戻します。

まず、この手紙は脚注の推定だと永禄12年になっています。
っていうかこの前後に収録されている信長さんの手紙の
260・261とこの262は日付が全て、2月13日。
何かの記念日?
ってぐらい3枚とも同じです。
恐らく260号に「旧冬の~」とあるので
お正月の年賀状のような感じだったのかもしれません。

その中でこれは初めて元就さんに手紙を出した後に
信長窓口に任された隆景に出された手紙です。
なので、
260号に信長の上洛があることから
この262号は永禄11年以前の事。
・・・・あれ?脚注は永禄12年だったけど
どう考えても永禄10年以前の手紙ですね。これ。

永禄10年以前と言えば
永禄9年
 尼子氏降参
永禄10年
 北九州の国人が反・大友を掲げて一斉挙兵、
 伊予に土佐勢が攻め込んできて
 両者から援軍を頼まれた。


なので、元就さんとしては東の織田氏からの入魂、
同盟の申し入れは有り難かったはず。
・・・まあそもそも、来るもの拒まず過ぎて
敵でも入魂にしちゃう方ってのもあるんだろうけど。

一方で信長はというと
永禄9年
  美濃攻め開始
永禄10年
  尾張・美濃2カ国を制覇

・・・・ええっとまだまだひよっこ状態。
なので甲斐の武田氏と婚姻を結び、
何とか周辺諸国と対等の関係にしようと躍起だった頃です。
「天下布武」の印を用い出すも、
実際は外交で友好関係を築いている頃。

なのでお互い領地は接していないどころか
何カ国も離れているのですが
同盟により、少しでも脅威を減らしたいという所は一致しています。
なので、永禄10年2月13日に出された手紙ではないか?
と推測できます。

文中に
「まこと晬啄(そったく)の至り候。快く然り候」
とありますが、
晬啄とは雛が卵から孵る時に
親が外からコツコツと殻を割りやすく手助けしてくれることをさし
まだまだ戦国武将駆け出しのヒナである自分に
親のようにその手助けをしてくれることに感謝しているという
比喩が用いられています。

・・・・元就さんが親鳥で、信長さんが雛鳥かあ・・・。

まあ、親子ぐらいの年齢差ですしね。

それとこの同盟が締結できたことが信長は相当嬉しかったようで
「条々御入魂、本懐候」「観悦候」「快く然り候」
と上機嫌な様子が伺えます。

隆景にも是非会いたいとありますが
隆景の遣わした使者が相当気にいったから
主である隆景にも会いたいと言ったのかな?と思います。
か、隆景のことをただ毛利家の家臣と思ったから
気軽に誘っているのか?
ちょっとそこらの考えが分かりませんが
両者が会って良好な関係が続いていれば
歴史が大きく変わっていただろうなあと思います。

次 私が担当の秀吉と申す者です。
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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