小早川水軍大将・乃美宗勝を訪ねるその4「宗勝公の422回忌」
お墓に参ったあと、本堂に行きました。

曹洞宗ですが、お寺の中はどこも同じ作りなのだなあと
奥の間を見ると、掛け軸が!!
ぉおおお!宗勝殿じゃ~!!
早速拝見を!!
と思っていたら、住職さんから話があるようで
と正座待機していると、袈裟を付けたご住職さんが来られて
位牌に向かってスタンバイ・・・・、
「これより宗勝公殿、法要422回忌を・・・。」
あれ?え?
法要!!?
と驚く間もなく、ぽんぽんと木魚開始。
「では、御参拝の皆様方、御順番にお焼香を・・・。」
えええ!?
待ってつかあさい!うち一番バッターじゃ!
え?お焼香って、え?どうじゃったっけ?
とかなり内心慌てふためきながら
いつものようにしたんですが
あれって一番最初はほんまに緊張しますね・・・。
で、そのまんま普通に法要が始まりました。
そしてお経の後に、「献茶」と「献筝」がありました。
「献茶」は見たことありますが、
「献箏」はまさかの琴の生演奏!!
え!?法要で琴の演奏とかあるんじゃ!!
とまたもやびっくりです。
で、お琴の演奏の後に、
「献食」
ということで、

幻の郷土料理「魚飯」。
朝どらの竹原で塩田で栄えた旦那衆が
お祝い事等でおもてなしに使われていた料理らしいです。
これ!ぶちうまいでがんす!!
小鰯の天ぷらが白身魚のように美味しく
七度洗えば鯛の味というのはまさにこのことか!
と衝撃でした。
出汁も魚の香ばしさとアナゴの重厚な味、
それでいて魚臭さがまったくなくて
ほんまに美味かった!!
ミシュランの星にすると多分3つ星いきます。
星2の料亭のご飯よりおいしい!!
そして、食べ終わった後に
住職さんのお話と上田宗箇流によるお手前。
・・・・あ、でも住職さんのお話中にお手前で
せっかくの正客位置なのにみれんかった・・・。
で、住職さんざっと宗勝さんのお話をしてくださりました。
大永7年(1527)年生まれ。
有名な厳島合戦のに参加したのは28歳の時。
えぇ!?
そんなに若かったん!?
いや、宗勝は隆景擁立派の筆頭で
その後も隆景の補佐をし続けてくれた方。
残された書状とか見る限り
「隆景様のためなら火の中、水の中!」
という隆景信者のお一人なのでもっと年上かと思っていました・・・。
隆景と5才差・・・。
長兄の隆元よりも年が近いかったんですね・・・。
宗勝さんは武勇に優れ、
立花城の戦いでは一騎討ちで見事に相手を打ち負かしています。
一方で義理人情に厚かったらしく
立花城を包囲した時、降伏した城兵達を無条件で返したそうです。
その後、撤退時には逆に大友方の軍が立花城から去る宗勝を
攻撃せずに見送ってくれたという戦国ちょっといい話がある方です。
小早川家の重鎮として各地を転戦し
最後は秀吉の朝鮮出兵で朝鮮に行きますが
そこで体を壊して帰国後、領地の筑前でなくなります。
前述したように、奥さんが筑前でなくなっていたため
筑前の宗勝寺で眠っているんだそうですが
戦国時代、夫婦で同じ墓というのは結構珍しいこと。
大概は後に同じ所にお墓を移していることが多いんですが
宗勝夫婦は最初からのようです。
なのでよっぽど仲が良かったのかなと思います。
加えて宗勝寺は立花城に近い地で
あえて眠ることを選んだのかもしれません。
宗勝さんの人生を振り返りながらの法要が終わり、
お寺に残る宗勝さんに縁のある品々を拝見いたしました。
次 隆景からのプレゼント
前 宗勝さんのお墓

曹洞宗ですが、お寺の中はどこも同じ作りなのだなあと
奥の間を見ると、掛け軸が!!
ぉおおお!宗勝殿じゃ~!!
早速拝見を!!
と思っていたら、住職さんから話があるようで
と正座待機していると、袈裟を付けたご住職さんが来られて
位牌に向かってスタンバイ・・・・、
「これより宗勝公殿、法要422回忌を・・・。」
あれ?え?
法要!!?
と驚く間もなく、ぽんぽんと木魚開始。
「では、御参拝の皆様方、御順番にお焼香を・・・。」
えええ!?
待ってつかあさい!うち一番バッターじゃ!
え?お焼香って、え?どうじゃったっけ?
とかなり内心慌てふためきながら
いつものようにしたんですが
あれって一番最初はほんまに緊張しますね・・・。
で、そのまんま普通に法要が始まりました。
そしてお経の後に、「献茶」と「献筝」がありました。
「献茶」は見たことありますが、
「献箏」はまさかの琴の生演奏!!
え!?法要で琴の演奏とかあるんじゃ!!
とまたもやびっくりです。
で、お琴の演奏の後に、
「献食」
ということで、

幻の郷土料理「魚飯」。
朝どらの竹原で塩田で栄えた旦那衆が
お祝い事等でおもてなしに使われていた料理らしいです。
これ!ぶちうまいでがんす!!
小鰯の天ぷらが白身魚のように美味しく
七度洗えば鯛の味というのはまさにこのことか!
と衝撃でした。
出汁も魚の香ばしさとアナゴの重厚な味、
それでいて魚臭さがまったくなくて
ほんまに美味かった!!
ミシュランの星にすると多分3つ星いきます。
星2の料亭のご飯よりおいしい!!
そして、食べ終わった後に
住職さんのお話と上田宗箇流によるお手前。
・・・・あ、でも住職さんのお話中にお手前で
せっかくの正客位置なのにみれんかった・・・。
で、住職さんざっと宗勝さんのお話をしてくださりました。
大永7年(1527)年生まれ。
有名な厳島合戦のに参加したのは28歳の時。
えぇ!?
そんなに若かったん!?
いや、宗勝は隆景擁立派の筆頭で
その後も隆景の補佐をし続けてくれた方。
残された書状とか見る限り
「隆景様のためなら火の中、水の中!」
という隆景信者のお一人なのでもっと年上かと思っていました・・・。
隆景と5才差・・・。
長兄の隆元よりも年が近いかったんですね・・・。
宗勝さんは武勇に優れ、
立花城の戦いでは一騎討ちで見事に相手を打ち負かしています。
一方で義理人情に厚かったらしく
立花城を包囲した時、降伏した城兵達を無条件で返したそうです。
その後、撤退時には逆に大友方の軍が立花城から去る宗勝を
攻撃せずに見送ってくれたという戦国ちょっといい話がある方です。
小早川家の重鎮として各地を転戦し
最後は秀吉の朝鮮出兵で朝鮮に行きますが
そこで体を壊して帰国後、領地の筑前でなくなります。
前述したように、奥さんが筑前でなくなっていたため
筑前の宗勝寺で眠っているんだそうですが
戦国時代、夫婦で同じ墓というのは結構珍しいこと。
大概は後に同じ所にお墓を移していることが多いんですが
宗勝夫婦は最初からのようです。
なのでよっぽど仲が良かったのかなと思います。
加えて宗勝寺は立花城に近い地で
あえて眠ることを選んだのかもしれません。
宗勝さんの人生を振り返りながらの法要が終わり、
お寺に残る宗勝さんに縁のある品々を拝見いたしました。
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前 宗勝さんのお墓
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