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永禄聞書~戦国時代の人質と統治~

小早川隆景が父・毛利元就の言葉を書き遺したと伝わる書より
書き下し文
「永禄聞書
 元就公の曰く
 妄りに于、戈を他国に働す
 則は国の費民の労也人民苦しむ
 則は内は乱りて禍を生じること必然たり
 隣国亦費に乗じて謀りごとを面しうかがひ来ることあり
 人を致さんと欲しめ却って人に致さるること是なり
 身不治して如何り人を治ることを得んや」


現代語訳
「元就公が言ったことには
 『みだりに刀や槍を振るって他国に戦を仕掛けると
  国力を無駄に費やし、民を疲労させることになり、
  人民は苦しむことになる。
  そうすると隣国もまたこの期に乗じて
  調略などの謀りごとを企み、
  隙を伺いにやってくることがある。
  他国へ侵略して人の物を欲すれば
  逆に人から奪われるのはそういうことなのだ。
  自分で自分の国を治められないのにどうやって
  他人の国まで治めることができるというのだろう。』」


孫子の兵法にもありますが、
戦は国力を損なうことだから極力起こすな。
もし、どうしても起こすなら手段であって方法ではいけない。
と戦争はすべきでないと明言してます。

元就さんの場合はこれに加えて
他国を欲して戦を仕掛けても
そもそも自国すら治めきれてないのに
そんな状態で国内が不安定になれば付け入られて
逆に領土が減ることがよくある。
だから戦は仕掛けるべきではない。
そもそも
戦をすれば民が苦しむのだからすべきではない。
と説いています。

・・・何だか最近大河で聞いたような・・・。
でも、実際に元就さんはそう考えていたんですね。

まあ、元就さんも狭間の国人ですから、
大国の間で苦しんだ側だから、
身をもって国と民の疲労を感じていたのでしょう。
だからこそ無益な戦や領土を増やす戦よりも
今ある自国をしっかり統治する
ことの大切さを説いているのかなと。

次に自国の治め方
書き下し文
「自国之治

 旄下に従ふ諸士は皆人質を取りて
 城下に囲い置くこと逆心を断つ治なり

 隣国と交じりを懇切にする中は
 互いに人質を取り代わすこと
 謀りごとを断つ治なり
 
 縁辺を結びて和睦の謀りごととすること
 戦を止める我居城を堅固にすること
 不意の害をのがれ亦死線を強くせし為なり」


現代語訳
「統治の仕方
 
 臣下として旄下に集う者からは皆、人質を取って
 城下に囲い置くことは逆心を防ぐことができる。

 隣国と同盟を交わし、仲をより深めるには
 人質を互いに交換することは、
 同盟を破るような考えを断つことができる。

 縁組によって和睦の謀りごとをすることは
 戦を止める方法であり、自分の城の守りも堅固にできる。
 それから、結婚することで、思いもよらぬ危険も避けることができるし
 絶対生きて帰ろうと思うので死戦でも強くなることができる。」


・・・ええと、人質の話だったのに
めっちゃ惚気られている!!

家族のために生きようと思うから
死線もくぐれたし、不意の危険も勘が働いて逃れることもできた。
結婚も人質の延長かもしれないけど、
そんなに悪いことばかりじゃないんだよ。


・・・・政略結婚とはいえ、本当に幸せだったんですね、結婚生活。
じゃないとこんなこと思いませんからね。
本当に妻や子どもが心の寄り所だったんだろうなとこの一文から感じられます。

それから戦も止んで、居城も堅固になった。
その下りは五竜のことでしょう。
長年争っていた宍戸氏と元就さんの娘が結婚することで
戦も止んで、尼子戦の時には最も頼りになる防波堤になってくれた。
人の結びつきは石垣よりも堅固になる。
武田信玄の「人は石垣~」にも通じるものがあります。

城下町に人質を囲い込む。
というのは大河を見れば分かるように
武田・上杉・織田など有名どころの戦国武将は皆していますし
元就さんも尼子と大内に人質を送る立場でした。
松平が今川に、毛利が大内に出した場合から見るに
人質交換は行儀見習いも兼ねていたのではないかなとも思います。

「他国の境国中の道筋に葉城を取り
 或いは関を立てるは敵軽く攻め入ることを防ぐ治なり

 出師の時、其の国の人夫を触れて頭を定め
 荷物を運ばせ薪水を出さしむるは其の国の民百姓人質なり
 国の騒がせない治なり
 
 留守居ノ城代高名の武士を残し置く
 諸卒老親妻子養育すること親の如くするは蓋し心残さぬ治なり」

現代語訳
「他国との境や国を通る道に端城を取ったり
 あるいは関を立てたりするのは、敵が軽く攻め入ることを防ぐ方法である。

 出陣する時に、攻める国の人夫に陣触れを出し
 頭となるものを定めて、荷物を運ばせたり、薪や水を出させたりするのは
 その国の百姓や民から人質を取るのと同じで、
 戦で国を開けても国に騒動を起こさないための方法である。

 出陣で留守になる居城の城代に
 名のある武士を残して置いておくことや
 出陣する兵士達の老親妻子を養育し
 自分の親の様に面倒をみるのはというのは全く以て
 戦に出る兵士たちの心残りを取り除くべき方法である。」


・・・・。ええと、散々人質に取るのは国を安定するべきために必要な方法だ~。
みたいに悪ぶって言っときながら、何ですか、最後の一文は。

「留守居ノ城代高名の武士を残し置く
 諸卒老親妻子養育すること親の如くするは蓋し心残さぬ治なり」

って、ようは

「諸卒から人質を取るのはいざってときに騒乱が起きないためであって
 別に、戦の時にみんなが残した家族のことを不安に思わないために
 名のある武士に留守居を任せて安心させたりとか
 留守中でもきちんと面倒をみて、安心させたりとか
 そういうのもあるかもしれないけど
 でもそんなの当たり前のことなんだからね!」

・・・ツンデレ?
ってやつですか、元就公。

まあ、冗談はさておき、
兄が京都に出陣中に、城を追い出されて
乞食とまで罵られて、相当辛い思いをしたからこそ
出陣中に残された家族が安心して過ごせるように
心を砕いた
んだろうなあと思います。
万葉集にも、
「父しかいない子なのに私が出兵したらこの子はどうなるのだろう。」
と詠んだ歌があるように、平均寿命の短い時代、
片親しかいない子もいたでしょうし
両親も亡く、兄弟だけという事もあっただろうし
逆に年老いた親だけという場合もあっただろうし
戦に出ると言うのは双方に大きな不安を持たせるわけで
せめて残す側は精一杯守ろうという思いが伝わってきます。

それから、人夫の徴収。
元就さんとこでは、寄親・寄子制度のような感じだったようで
「そこは100人ぐらい出してくれる?」
と頼んだ場合、部下が更にその部下に
「20人ぐらいずつ出して」
となっていくのですが、

問題は「其の国」。
多分、攻め入る国のことかなと・・・。
まず、国を攻める前に、道々の百姓から人夫を取り
その百姓たちから薪や水を供出させる。
結構これって一般的なことで
尼子氏も大内氏も同様のことを行っていたようで
両者が通る時に国人衆が兵を連れていったのも同じ、
人質兼兵力です。

そこまでしておいても
敵国に深く攻め入って、大敗した時には
こういう輸送者だった農民は
すぐに落ち武者狩りに転じてこちらを狙ってきます。
なので、人質に取ったとしても
通路の確保という点でしか効果はないのですが・・・・。
まあ、農民も侮れない存在であったということかなと。

それから関。
関は通交税を取る所だけではなく
敵から攻めにくくするために設けられている。
・・・なるほど、だからむやみに撤廃できないわけですな。
まあ、10国も治めたら間はなくてもよいだろうと思うんですが
鹿ちゃんのようなこともあるし、撤廃するのは難しかっただろうなと。

総評としては
自国の治というだけあって
戦国時代の常識ですが
でも、家族の大切さや余計な戦をしないこと
そこは元就さんらしい処世訓だなと思いました。
それと、残された兵士達の家族まで慮っていること。
元就さん家、武勇で有名な家臣と言われても
ぱっと思いつかないので多分そこまで多くはない・・・。
乃美さんとか小早川家はいっぱいいますが、
どちらかというと人材不足で頭悩ませている状況です。
城代に残すぐらいなら戦に連れて出ていきたかっただろうに
それでも城代までしっかり考えておくとはよほど
幼少期のことがこたえたんだろうなあ・・・。

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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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