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「場合によっては賊」頼山陽逸話

先の明治に発刊された「英雄の片影」ですが、
戦国武将以外にも江戸時代の人物の逸話もあり、
幕末という比較的新しい時代のまで収めているようです。

ついでに安芸関連ということで頼山陽先生の逸話。
現代語訳
「場合によって賊

 頼山陽が大阪にいる時の話だが、新町の妓楼で日がな遊び続け、
 それが数日にも及んだので、財布の中はすぐに空になってしまった。
 楼主は代金を支払わない山陽に対し、罵詈雑言も交えて督促するので
 山陽は舞妓に命じて紙を運ばせ、たちまち書を10枚作り
 それに手紙を添えて雲華上人の所へ使いの者を出した。
 
 雲華上人はちょうど、難波の別院で説教を説いており
 聴衆がたくさん上人の周りを囲んで説法を聞いていた。
 そこへ妓楼から使いがきたので、皆は不思議に思ったが
 上人が手紙を読むと、山陽から云々と書かれてあったので
 20両のお金を直ぐに用立てると山陽の書を買った。
 聴衆も驚いたが、妓楼の使いも驚愕し、
 「この人は何者なのか。」
 と、雲華上人に尋ねると
 「彼は当代天下第一の豪傑、山陽先生である。」
 と答えたので、ここから山陽の名は世に広まり
 山陽の書を欲しがる者が日々、群集して求めるということになった。

 後に、山陽が日本外史を編纂した時に
 本の中に本願寺を一向賊と書いてある箇所があった。
 雲華上人はこれを見て、山陽に詰めよった
 「顕如上人は朝廷に叛いたことがないのに、何故に賊という字を当てたのだ!?」
 と聞くと、山陽は
 「これは織田氏の伝記による話の中なので
  織田信長が本願寺のことを「一向賊」と言っただけだ。
  もし、法王の伝記を作るとなれば、
  信長のほうを賊としようと思う。」
 と答えたので雲華上人も納得して深く責めなかったとのことだ。」

頼山陽はわが国に「日本史」という概念を広めた人です。
それまでは太平記など、その時代だけまとめたものや
天皇家や各家毎の歴史をまとめたものなどはありましたが
通史的な概念でまとめたものはありませんでした。
徳川光圀による「大日本史」という日本史をまとめたものはありましたが
水戸藩の重大任務であり、一般に公開されるものではありませんでした。
しかし、山陽の記した「日本外史」は、読み物としても面白く
大名から庶民までが読む大ベストセラーとなります。
例えるなら、幕末の司馬遼太郎のような感じです。

その山陽は結構破天荒な性格で
大阪生まれの広島育ち。
蟄居中に日本外史の元になる草稿を書き上げると
結局は広島ではなく近畿に居を定めます。

で、この逸話。
さすが歴史家だなあと思うのが
「信長」にとっては一向衆は「賊」ですが
もし「顕如法王」からすれば信長こそ「賊」。
歴史とは見る立場から正義が変わる。
それをよく知っていたところです。

この間の講座で「征伐」という言葉について岸田先生が
語っていましたが、「四国征伐」「九州征伐」と普通に使っていますが
「征伐」とは悪を成敗するという意味。
でも、それは秀吉からみた「征伐」であって、
四国や九州の人が何か悪いことをしたのかというとそうではない。
歴史は勝者が作ると言いますが、
当たり前に使っている歴史用語は本当にそれでいいのか?
立場を変えれば悪も正義もない。

雲華上人もそれを悟っていたから
山陽の一見、屁理屈のような話にも納得したんだろうなと思います。

因みに、本願寺では今でも信長さんとの戦いを忘れてません。
夕方のお経、超高速で、
「え?本場のお経ってこがいに早いん??」
と叔母と2人でびっくりしていると
夕方のお勤めが終わられて、正面を向かれたお坊さんが
「このように早くお経を読んだのは、
 本願寺が織田信長に攻められた石山合戦の時に
 戦中でもきちんとお勤めできるよう速く読んだのが始まりです。」
と説明して下さりました。

本願寺から見れば本拠地や門徒とあらば女子ども容赦なく殺す織田信長こそ賊。
信長からすれば天下統一を妨げるほうが賊。

ふむ・・・。
次、元長の睨み目
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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