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益田の毛利元就饗応膳

今回、試食できたのは饗応膳のほんの一部です。
大内さんが将軍御成りの食事を出した献立数に比べると少ないのですが
それでも7献35菜3汁にもなる豪華なものだったようです。
全てを復元するには今では捕獲できないものも含まれているので難しいのですが、
レプリカの展示がありました。

まずは初献
饗応1

手前の土器(かわらけ)にはお酒とそれから御湯漬けが入っていたそうです。
例のお年寄りには固くてよう食べれんと言われたアレ・・・。
ええと、永禄11年ってことは元就さん71歳ぐらいでしょうか。
おじいちゃん、大丈夫だったんかなぁといらぬ不安がよぎります。
まあ、でも当時の人は今と比べて固い物をばりばり食べているから
大丈夫じゃったのかもしれません。

で、まずは右の御式から。
のはふくめ鯛
干した鯛を焼いて、身を取り出してデンプにしたものだそうで
ようは鯛のほぐし身かなと。
のは塩引き
飛魚(あご)と書かれているようで
鮭ではなく飛魚が使われていたようです。
下はあわび
干しアワビを味噌汁で煮て戻した煮貝なのか、
生のアワビを使ったふくら煮なのか、
調理方法まではわからないそうです。
んん、でも永禄11年の2月なので
生でも持っていけるといえば持っていける範囲です。
今でも浜田のおばちゃん、北広島まで行商くるぐらいですから。
ただ益田となるとやや遠いのでううん・・・。
左は貝。
としか書いてないのですが、吉田に運んだ貝は
あわびとにし貝、サザエなので
サザエではないかと推測されてサザエにしたみたいです。
サザエは干して食べないと思うので刺身か焼きものか・・・。
余談ですが、瀬戸内海のサザエは角なし、日本海は角あり。
郡山城を掘り返してどっちが出てくるかで
普段海の幸は日本海側のを食べていたのか、
瀬戸内海側のを食べていたのかわかるので
サザエ出て来ないかなと思います。

次に左の御式
赤いのが酒浸(さけびて)。
吉田に持っていった荷物一覧に鮭があるので
鮭を干したものを酒で戻したのか、
あるいは塩引きを飛魚で作ったぐらいなので
飛魚を戻したものなのか。
再現料理で食べたのは鮭だったのですが
飛魚の可能性もあるみたいです。
それから茶色のは香の物。
なら漬けはこの当時からも食べられていたんだそうです。
で、丸いのは「はむ」
試食した時にかまぼこよりもやおい感じだったですが
もう少し食べないと違いが分からん・・・。
今度は4月に広島から食べに行くツアーがあるんだそうですが
日程が・・・・。
それと「かまぼこ」
あご竹輪に見えるんですが、追記にかまぼこ用とあるので
鯛かまぼこらしいです。吉田の元就膳食べた時に鯛があって
元就さんの好物だと聞いた記憶があるんですが
あごでなく鯛を使うあたりさすが益田さん。
できる男です。

どれも精巧なレプリカでよくわかったのですが
気になるのが、4皿ずつ置いてあること・・・。
4というのは縁起が悪く、あまり和では用いないので
見た瞬間に違和感があったのです。
絶対にないというわけではないと思いますが、
実際、1~7献まで漢数字を使っているのですが
4献だけは平仮名で「よこん」と書いています。
なので4という数に対する禁忌意識はあったはず。
とすれば基本3・5・7の奇数・・・。
で、文献を見ると


   しおひき   ふくめたいかいさざえ
     さけひて
   かうの物   はむ   かまほこ


とあります。
わざわざ間を開けているところは
きちんと横が揃っているので何らかの意図があったのでは?
と考えると、真ん中に酒漬てがあって
その左右に3皿ずつ、
塩引き、ふくめ鯛、貝サザエ
香物、 はむ   、かまぼこ
が並んでいた可能性もあるなあ・・・と
そうすれば7皿になります。
なので貝とある皿は、貝とサザエが一緒に盛っていた?
あるいはサザエ単独?の可能性もあるのではないかなと思いました。
ただ、それだと御折がかなり大きくなります・・・。
ううん、わからん!
素人の戯言だと看過してください。

で2つ目、文献では


すし    きし       あつめに
  にし        御志る
いか    さけ      引し幾


写真
饗応2
魚はすしとあり、
鮎鮨だったようです。
・・・・隆元。
と鮎が出るたびに条件反射で思ってしまいます。
山口行った時もみんなで固まったなぁ・・・。

それから
戦国時代は肉食ってます。
焼き鳥よく出ます。
でも鶏ではないです。
で、鶏はいつから食べるようになったのか。
と調べるとウィキだと江戸時代半ばからのようです。
それまでは鑑賞用として飼われることが多かったようで、
ああ、あれ!ペットだったんだね、元就さん!
と合点がいきました。
うん、ごめん、てっきり卵食べずに大事にあたためて
還したから大事にしてたんだと思ってました。
いや、子どもって食用なのに関係なく
卵還そうとしたり、飼って大事にしたりするので
元・食用かと思ってたら最初っからペットだったんですね。
そりゃあ食べた狐を燻り出すのもしょうがないねとなりました。
解決です。

で、にし。
こりこりしていて刺身が私は好きです。
続いて、いか。
いかも刺身だったのでしょうか。
というか、いかってどうやって戦国時代に取ってたのでしょうか
当時から夜中に漁をしていた??
ということなんでしょうか・・・。
ううん、牡蠣の養殖方法なら詳しいんですが
その他の食に関することの知識が薄いので
もっと勉強せねばと思います。

鮭は鮭。
でも、この時代鮭は江の川でも獲れたので
地物なのだろうなと。

で、汁はひじきとあつめにが入っていたみたいです。
あつめには干物や野菜などを入れたもののようで
味噌や出汁で味をつけたようです。
いりこ(干し海鼠)が持っていくものに入っていたので
いりこやあごで出汁をとったのかなあと思います。



かとのこ             かん
   このわた     御しる
くらけ               川おそ
   御くわし7種
   御さかな
小くし 
              御さうに
けすり物



・・・。
あれ?写真撮ったはずないのにない!!
ああ、しまった!!
お菓子7種とか後で調べようと思ったのに・・・。
ということで是非益田へお出で下さいませ。です。
御さうには御雑煮。
大内さんとこで食べたのとほぼ変わらなければ
餅だけでなく、干しあわびとか豪勢なものが入っているんだろうなと。
けすり物は・・・・。あれかな・・・。
食べにくかったあれかな。
御汁はカワウソ。
4つ足の動物を食べることはなかったのですが
カワウソは水にもぐったりすることもあるので
魚と同じ!よってセーフ!
という考えで食べてたみたいですが
匂いが凄いので処理をどうしていたんだろうと思います。



二こん
むしむき  御そへ物白鳥


むしむきは細うどん。
白鳥が添えものってことは
鴨南蛮のはしりかなと。



三こん
さしくらけ  
            たい
こうるか


こうるかは鮎の卵等を塩辛にしたもの。
さしくらげはくらげのさしみ。
当時はくらげをよく食べてたみたいです。



よこん
とりのあし へつかん 御そへ物ささゑ


饗応3

クリスマスによく食べる鳥足。
ですが、多分鶏とかじゃないです。
が、塩焼きしたものに添えものが
「へつかん」は甘い羊羹みたいなものとサザエ
時々分からない戦国食の組み合わせ。
酒があれだけ甘いからまあありかなと。



五こん
しほひき
             きし
いか


塩引きは再現食にあったもの。
イカも雉もさっきも出てきたので
多分調理方法が違うんだろうなあと。



六こん
くさひら
       まんちう
は□□          御そへ物うけいり


くさひらは草饅頭というか草御焼みたいなもので
中に餡子が入っているみたいです。
饅頭のあんは餡ではなく野菜や肉などのあん。
はの下は切れ目なので解読が難しい・・・。
添えもののうけいりは、つみれのことらしいです。



はむ
        あゆ
からすみ


はむも再現料理にでてきました。
それからまた出てきた鮎。
からすみは多分今と同じからすみかなと。

益田さんの作った御膳を見ると
 ・ 鮎とイカとあごなど海産物がやはり多い。
 ・ それから昆布など交易でないと手に入らないものがある。
 ・ からすみやうるかのように保存がきくが手間暇かかる食べ物が多い。
気がします。
何より、益田から運んだ数も凄い・・・。
もう永禄なので中国地方全域制覇しているので
家臣団も初期よりも大分拡大しているので
上の座敷用、150人の家臣と
部屋に上がれない家臣がいる幕内にも70人。
益田元祥の元服式なので家臣も総出ではなく
関係者のみだとは思うのですが、結構な人数がいます。
っていうか、200人規模の宴会を郡山城のどこで開いたのか。
それも気になりました。

最後:歴食シンポジウム
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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