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企画展「安芸宍戸氏」感想

安芸高田市の歴史民俗博物館で現在行われている
宍戸隆家生誕500年記念の
「安芸宍戸氏~毛利一族、4本目の矢~」

に行って参りました。

毎週土曜日の11時から、展示解説をなされているので
それに間に合うように走りました・・・。
10時45分吉田病院着のバスが着いたら11時。
「うおおおお!間に合え!!」
と走って何とか解説に間に合いました。

まずは宍戸氏の系図から。
宍戸氏は八田知家を祖とし、常陸を本領とする鎌倉武士。
時代は下がって安芸に下向したのが安芸宍戸氏なのですが
戦国期に常陸宍戸氏出身の元家が本家を継いで
幕末まで続くと今までの系図では紹介されていました。

しかし当時の他の文献を調べるとどうも
安芸宍戸氏の中でお家争いがあったのではないか。
常陸から招いたのではなく、大内派と細川(幕府)派で
家中が分かれ、結果として元家ら安芸守系が残ったのではないか。
その証拠として義興書状や陶氏の書状が紹介されていました。

・・・系図はごまかせても他家に伝わった書状の内容はごまかせない。
なるほどなあと思いました。
それと、元就以前の段階で宍戸氏と手を組んでいたのは初耳でした。
それと五竜城が陥落したのも初聞きで、
城の造りがやけにしっかりしているなと思ったのは
落城経験があるせいなのかと納得しました。
もっとも同族の争いなので東ほど激しくないとは思いますが・・・。
あ、それとそもそも名乗る名前が違ったので一目で分かります。
元家から以降、「弥三郎」の名を名乗る方が後の筆頭家老の血筋。
それ以前の名乗りを引き継いでないので明らかです。

あ、あと書き下し文は全部「完戸」ってなってますが
これは間違いじゃない
んだそうです。
後ろでみようた御夫婦がこれは間違いじゃない?
て言ようちゃったので後で学芸員さんに質問したんですが
そもそも原文が「完戸」だよと教えてもらいました。
見るとほんまに「完戸」って書いてある!
大発見でした。

あ、あとこの間訳した幕府からのお手紙
毛利家文書289号「郡山合戦報告書の注進について」
が、ありました!
わあ現物~と感動しました。
今回書状関係が充実していて、
元就さん直筆書状が出てました!
それも「水魚の交わり」のやつ!!

・・・一応リンクはっときますがもう6年も前の訳なのでまた今度手直します。

この書状最高!!ぜひ現物を見て頂きたい!!
あの、最初の前文が、これでもか!!
とこまかくびっしり書いてあって、
それでもスペース足りなくて、
上の方に斜めに書いて
それでもスペース足りなくなって、
終には本文の合間にまで書き足してる!!
それも「五竜は女だから聞きわけが悪いこともしょうがない。
元春、お前が折れてやれ、男じゃろ。」(意訳)
を。

うわあ、これは現物見ないと分かんない発見だなと思いました。
それと文章が変なところで墨が代わってるのと
やや雑な印象を受ける字でしたので
本当にもういい加減にしてほしいという元就さんの気持ちが
にじみ出ているような感じでした。

この文章で元就さんは
元源さんとは兄の代までは争っていて
 兄が亡くなった時にも戦をしていたが、
 父からの遺言では仲良くしろと言われていた。
 さあどうしようと思っていたら、
 私と元源殿は水魚の思いに成り
 縁を結んだのだ。」
(うろ覚え)
と書いています。
宍戸元源は息子の元家を早くに亡くしており、
元就さんと息子の元家を重ねていたのかなと思っていたんですが
入り口の宍戸年表を見れば、元家と元就は生まれが1年しか違わない
ああ、やっぱり亡くなった息子とほぼ同い年じゃった。
そして元就さんは母も父も姉も兄も亡くなり、頼れる家族はいない状態。
・・・妹や弟は庇護しなきゃ!って燃えてるので多分甘える存在はいないです。
そんな状態だったから、「水魚の思い」の情を抱きやすく
親子みたいな状態だったんだろうなと思います。

で、ここで結んだ縁ですが、
今までは高橋氏滅亡の時に五竜局(おしん)が嫁いだ時に
宍戸と毛利は同盟関係になったんだと考えられていました。
しかし、陶さんの手紙から享禄2年には同盟関係になっており、
高橋氏を滅ぼした天文年間よりも前のことだと分かったんだそうです。

この婚姻は元就とっては心強いもので
娘の嫁いだ五竜、すなわち宍戸を大事にしてほしいと
先の書状でもこんこんと説いています。
なので今回の副題に4本目の矢としたのは
元就本人も三子と同様に扱うようにと言っているところから
来ているんだそうです。

・・・4本目といえば元清のイメージなんですが
確かに隆家も義兄として元就の葬儀のときには
隆景達からも頼りにされていて、
自分は一人っ子なのに兄として面倒をよく見てくれているなと思います。

・・・恐らく隆家直筆?らしき書状もありました。
備後山内氏に当てた手紙です。
字と字がきっちりまっすぐで、同じ大きさ、
やや小ぶりで真四角の経のような字です。
右筆にしては行間が空きすぎなので
恐らく直筆かなと思うのですが・・・。
・・・筆からは小まめな性格だなと伺えました。
備後山内家は備後守護であり元は
「3分の1衆」と呼ばれた名門山名氏の守護代。
そのため備後の国人達よりも頭一つ高く、
時世から毛利氏に従属したものの不満に思うことはあったようで
隆家がその都度調整していたようです。

隆家の母は山内氏と伝わるのですが、系図にもなく
この書状が唯一、隆家が幼少時に山内氏に
養育されていたことを証明するものなんだそうです。
・・・元就さんといい、きちんと手紙に過去を書くって
大事なんじゃなあと思いました。

っていうか宍戸氏は萩藩筆頭家老の家柄なのに
史料が圧倒的に少ないんだそうです。
途中の系図改変もですが、隆家の次代も謎な子です。
宍戸元秀は五竜の息子で、隆家とともに軍事行動にも参加しているのですが
後世には元秀は病弱で家督を継いでいないとされます。
しかし、実際には行軍しているし、子どももいる。
そして墓所は井原・・・・。
ううん、これって何かやらかしちゃんじゃないか。
誠しやかに囁かれているのが、子のない輝元の養子として
宍戸元秀が本家乗っ取りを企んだのではないか。
とか色々言われていますが、実際史料に出てこないんそうです。
・・・ただ、もし何かやらかして書状を消したとしても
先ほどの様に他家の書状から出てきそうなものなのになあ
と思わんでもないです。

因みに井原の秀元墓所の側に五竜局の墓と伝わるものがあります。
不憫に思った息子の側で暮らして亡くなったと伝わります。
・・・ただ、今回の五竜局の墓所と伝わる写真パネルと見比べると
浅塚に伝わるものの方が明らかに毛利の墓です。
見て頂ければ多分一目で諒解されると思います。

隆家も灰塚は石で囲った場所ですが
宍戸は五輪塔を立てるようです。
それも石灰岩で建てているので庄原との交流が
石造物からもわかるんだそうです。

隆家墓所に関しては、江戸時代に
三上さんが残した紀行文に詳しく載っています。
この三上さんの手記が面白い!
ついつい10ページ読んでいたら30分以上かかったんですが
江戸の甲立のようすが分かって面白かったです。
伝承で屋敷跡と思われるところへ尋ねても
百姓の方が住んでおり、由緒を聞いても分からないことが多く
それでも時々お寺などに行くと詳しい人がいて
御馳走を振る舞って貰いながら、伝承話を聞く。
・・・ああ、現在の史跡調査と変わらんことしとる!!
と感動しました。
その後、三上さんは無事同族の人とも再会でき、
遠くからよういらっしゃったと親戚?と仲良く話ができたようです。

今回解説を聞いてらっしゃる方は地元の方や関係者が多く、
「家紋が家と一緒だね。」
とか
「あの宍戸さんとこの親戚なのかな。」
とか仰られていて、ああ地元で知ってもらうことは
本当に大事なんだなと思いました。

それと安芸の三上さんは長州藩からきた藩士の親戚の影響をうけてか
後に天叟院の墓所の絵を描かせたようで、
その図がわしの寺にあるよと企画展の新聞記事を見たお寺から連絡があり
今回初出展、っていうか未確認だった史料が新たに見つかり
急遽展示されることになったそうです。

江戸時代の終わりに御先祖様ブームが湧きあがり
その影響で、動いた地元の方のお陰で今こうして史料として
在りし日々の様子が伝わっているので、
歴史ブームは次に歴史を伝承するためにも
必要なんだなと実感しました。

江戸時代はきちんと手入れされていたようですが
現在は天叟院跡は荒れていて灰塚の場所も
何度も行かれてようやく見付けられたんだそうです。
元秀の墓は住職さんが居られても無残なことになっています。
地元の方に知っていただき、興味を持ってもらうことは
本当に大切なんじゃなあとしみじみ思いました。

それと、外伝スペースに羽柴秀勝の妻の真相
解説されていました。
ははあ、なるほどそういうことならば説明がつくなあと。
今回、書状がほんま充実していたし、
地元の方の暖かい雰囲気で解説聞けて良かったです。
質問も色々と答えて下さり、ありがとうございました。

・・・・だから最後の最後展示室を出る前に思わず
隆元!!!!
と地面に拳打ちつけたくなりました。
黒田長政書状とか、秀吉書状とか、
そりゃ有名書状が今回来てますがそれを上回る大物です。
何これ!まさかこれ出るとは思わなかった!
「隆元のデスノート!!」
いや、実際殺しちゃいないですが、
ここまで負に満ちて淡々とした書状ってない。
いや、そもそもこれは日記?不満日記??
細かいんです、ほんまに。

 ○月△日 私がいるのに立ったまま小者に靴を脱がせた奴がいる。
 ○月□日 私がまだ脚絆を解いていないのに、
        座に上がった奴が2・3人もいた。
 ○月▲日 私がいるのに立ったまま(以下略)」

怖い!怖いよ兄さん!
流れ的に
宍戸さんちに泊って仲良くしているんだね!
からのその先怖いよ!
もっとポジティブに生きようよ!

・・・こんな兄弟達をまとめてくれた隆家さんは
本当に偉大な方だったんだなと心底実感しました。
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トロロヅキ

Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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