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「戦国期伊予河野氏と女性たち」講義感想

岡山県で開催されていた「伊予の戦国時代」で
西尾先生の講演会が開かれていたので聴講してきました。

西尾先生は中世の女性を研究されており,
「戦国期の権力と婚姻」(清文堂出版)などの著書があります。
今回は、その本の中で論じられている伊予河野氏最後の当主
通直(牛福)の母についての話を中心の講演でした。

河野通直(牛福)の母は,宍戸隆家嫡女。
つまりは毛利元就の孫娘。

・・・地元岡山の方々は、え?毛利??って
ざわざわっとされてましたが
私にとっては予想通り。
むしろ新幹線使ってまで聞きにいった甲斐がありました。
ひゃっほいです。
主な話は「五竜嫡女・ゆつき」と同じなので
今回は講演会の感想のみを上げておきます。

まずはざざっと河野氏の略歴を述べられていました。
河野氏は源平合戦では珍しく源氏方についた武将。
西国の多くの武将は平家についたために、没落します。
戦国時代に安芸で活躍している国衆のほとんどは西遷御家人。
・・・・それを考えると平安末期から安土桃山までの500年間
伊予生え抜きの国衆かつ守護にまでなったのは
結構すごいことじゃなあと思います。

で、牛福通直。伊予の最後の当主なのですが
通直は2代前にもおり、判別するために牛福とつけています。
・・・私は今まで(ぎゅうふく)と読むのかと思ってましたが
先生は(うしぶく)って読んでらっしゃいました。
古文書には基本「濁点」がないので、
そう読むのかと今回勉強になりました。

あ、で先生が研究されている「戦国期の婚姻」について
婚姻や養子や人質(証人)は
戦争回避や、立場を有利にするため
何かあった時に殺されるような現在のような意味の人質ではなく
縁を繋ぐ役割を持ち,家中でも大事にされる存在なんじゃと
おっしゃってでした。

・・・うん、毛利家中ならすんなり当てはまるんですが
ここ岡山は宇喜多じゃけぇ、
地元の方はイメージしにくかろうなあと思いました。
娘の嫁ぎ先を族滅しとる宇喜多は多分特殊なパターンじゃろうけど・・・。

まあ、そこはおいといて、
女性は嫁ぎ先でもそこそこ力を持っていたのは色んな例から見てとれます。
御家再興したり、幼い息子の代わりに家政を担っていたり、
アクティブに生きている気がします。
そもそも「女は三歩下がって歩け」のような男尊女卑が強くなったのは
江戸時代、徳川幕府が儒教を主流な学問としてから
一昔前の時代劇の非力なお姫様像は
この儒教が大幅に影響していると考えると
戦国期の女性の生き方は従来イメージされていたのと
少し違うのではないのかなと私も思います。

で、今回のメインは「牛福通直の母」
元就の娘の「しん」の長女
本名は不詳ですが、寅年生まれではないかと仰ってでした。
海を渡って島に嫁ぐ娘のために「しん」が乳母に頼んだ手紙や
「しん」の菩提を娘が高野山で弔った記録などがあるそうです。

・・・お母さんと仲が良かったんじゃなあとしみじみ思いました。
あと隆家父さんの手紙も、娘と孫を心配していて
家族思いな話が多くてほっこりします。
先生のお話、もう少しここ詳しく聞きたかったです。

河野氏最後の当主の母として
秀吉による四国平定の後、
通直亡き後も河野の家臣団を引き連れていた彼女ですが
晩年の消息はあまりはっきりしないんだそうです。
高野山も詣での記録の後、
文禄3年に亡くなったとされるようですが
寛永年間没の記録もあるそうです。

同じように嫁ぎ先で旦那がなくなった次妹(吉川元長室)は
末妹の輝元室の側で暮らしていたようで
お互い便りを交わした記録が残っているそうなのですが
牛福通直の母はそういう記録が無いんだそうです。

・・・姉妹三人じゃと複雑じゃろうなと思います。
特に牛福母以外の妹達は子どもがいない、
あるいは夭折なので話も合わんじゃろうなあと・・・。

あ、でも隆景叔父さんは多分全力で牛福母を支援してると思います。
例えば高野山の通直墓所。
母は逆修墓ですが、母子の墓標は珍しいらしいです。
熊谷聖のすぐ側、入って大きな石塔が2人の墓標。

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隆景夫妻のと比べると断然大きいです。
このサイズは大体江戸時代の大名家サイズで
現存する墓標で比べると建立当時は最大級のはず。
織田信長よりもはるかに大きく、武田信玄レベルです。
建立した時には伊予河野は滅びており、
国も既にない状態。
費用や段取りは恐らく隆景が援助したのだろうなと思います。

なので、隆景が領内のどこかに所領を与えて
そこで残りの半生をすごしたんじゃろうなあと思います。

あと、河野通直(大弼弾正)と
その娘の手紙のやり取りもほっこりしました。
娘を心配する父の手紙。
息子・晴通との長年の対立を考えると、
いつの世も父親は娘には甘いのだなと。

最後に、
これが正しいというものではなくて一つの考えですと
先生は最初に述べられていました。
でも、中世の女性は史料が少なく
生没年も本名も判明しない方が多いのに
そこから論を導き出すのはとても大変だと思います。
女性だから考えつく観点もあると思うので
先生の今後のご活躍を楽しみにしています。
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主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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