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「三矢の訓対談」感想

3月25日に三原で開かれた「三矢の訓対談」行ってきました。
会場には30分前に着いたんですが、すでに100人近い列が・・・。
今回は再現料理もあるので再現料理目当てのために端っこ陣取りました。
で、対談の流れですが、
まずコンセプト
「平成28年に三矢の連携協定が締結」今年はその3周年目を記念し、
御三家の御当主の対談、各地域の三家に纏わる郷土芸能、
県立大学によるおもてなし再現料理を企画。
ってことで各市町の関係者と防府・竹原からも来られてました。

ってことで御三家で早速対談。
・・ええと小早川さん
交通科学館で大学生の頃バイトしていたんで
私的には「ロータリーエンジンの方!」
「ル・マン日本初優勝のチームの方!」

っていう刷りこみが大きいです。はい。
ロータリーエンジンとは何かと語ると長いので割愛しますが
広島の自動車会社マツダが開発に力を入れているものです。
詳しくはプロジェクトXを是非ご覧ください。泣けます。

まずは秋山先生からざっとした「三矢の訓」についての解説でした。

○毛利元就が3人の息子を呼んで矢を折らせたというのは史実ではない
 兄弟の大切さを説いたのは事実
 それが「三子教訓状」と言われるもので、国の重要文化財。
○防府の毛利博物館に現在はある。
 2m80cmもの長さの手紙で
 元就の孫、元長が写したものも残っている。
 それには弘治3年と書かれてあり、元就61才の時の手紙。
○三本の矢の話は世界中に色々とある。
○「三子教訓状」毛利家文書450号の
  第3条 3兄弟の仲が疎遠になっては滅びる
  第4条 隆元は弟を、弟たちは毛利をもりたてていくこと
  とあり、3兄弟に仲良くすることを説いている。

・・・うん、「三本の矢」は寓話ですが「三子教訓状」は事実。

ここで司会の方が話を振りました。
「「三本の矢」や「三子教訓状」など聞いたことはありますか」
毛利さん
「小さい時から知っていますね。」

吉川さん
「元長が写したのは元春の命で写したもので
 吉川家は教訓状の精神を継ぎ
 協力して毛利を守ることを継承してきました。
 (関ヶ原の戦いの)広家の申し開き状に元就公の訓えが出てきています。
 その中に、5~10カ国を取ったのは実力ではなく運だから
 天下を狙ってはいけないと父・元春が家中にいつも言い聞かせていた。
  
 明治維新でも、経幹は第一次長州戦争(四境戦争)の時には
 毛利重臣たちは主戦論を唱えていたが、
 広家のことを引き出し何度も和睦を主張しました。
 敬親公は後ろ盾してくれて和睦となりました。
 西郷なども協力してくれました。
 
 明治25年には家憲を制定しました。
 メインのものは元範(毛利)小早川も共に助け合うこととあり
 「親族共済法」が大事にされてきました。

 戦前までは「三矢教訓状」の訓えが守られており
 300年は生きていました。」

三原副市長
「家が続くのは子孫につたえていくことが大事ですね。」

秋山先生
「戦国時代、親子兄弟と争うのは当たり前でした。
 武田も上杉もそうでした。
 毛利は元就以降家督争いがなくなりました。
 元就は(三子教訓状の精神が)孫の代まで伝われば良いが・・・
 と思っていたが300年に渡ってその精神が受け継がれていくのは
 稀有なことだと思います。」

安芸高田市長
「安芸高田市民にとって「百万一心」「三子教訓状」は
 広しく知られたことです。
 我々市民もその精神をいかしていきたいです。」

北広島町長
「吉川墓前祭が64回目を迎え
 鳥取、石見、相模、岩国、北広の関係者が集まって行っています。
 9つの史跡が国史跡になり、吉川に関するものが多いです。
 今回は羽衣石城を攻めた花笠踊りを後で披露します。」

三原副市長
「三原も6月に(隆景の)墓前祭と(隆景に因んだ)やっさ踊りがあります。」

安芸高田市長
「アベノミクスの時に首相が3本の矢を理念にしたので
 その記念に三本の矢を送りました。」

小早川家
「隆景の息子はいないので秀秋が引き取りました。
 秀秋は21才でなくなり断絶しました。
 今の小早川は明治に毛利から養子を迎えています。
 ですので小早川だというと
 秀秋と思われる方が多いようですが
 私は隆景公のほうが思い浮かびます。

 「プレジデント」で石田三成のご子孫と対談しました。
 その時に
 「秀秋は立派な武将だったと思います。
  裏切り者といつまでも言われることは可哀想だ。」

 と言ってくれました。今では親友でよく飲みに行っています。

 毛利から養子を貰った小早川家ですが元範3男は早世し、
 4男が引き継ぐのですが男子がいなかったので
 再び毛利から養子を貰いました。
 ですので毛利家当主の元あつさんとは従兄弟になります。

 明治になって再興した家なので家訓はないのですが
 トップ自分1人が考えるのではなく多くの人で考えるようにしています。
 3代目RXー7の開発や、ル・マンは優勝の1年前から携わっていました。
 その時にチームのメンバーを信頼すること
 目標を明確にする大切さ
を感じました。
 90年はル・マンにひたすら挑戦しましたが惨敗。
 最後の1回になった時にレーシングチームとメーカーが
 相互信頼するようになり、91年の24時間耐久で優勝できました。」

三原副市長
「昨年7月の豪雨災害では市内に多くの被害が出ました。
 その時にボランティアの方が多く駆け付けて下さり
 協力することの大切さを実感しました。」

●歴史について
毛利さん
「報恩会の会長として毛利博物館の運営に携わっています。
 大河『毛利元就』の時にはシンガポールにいたので
 ビデオで見ていました。
 『花燃ゆ』の時にも取材が2・3回来られました。
 (毛利の名前が)全国レベルでその時(大河で)広がりました。
 博物館にも10~20代の人が増えました。
 若い人たちの関心が高まっているのかもしれません。」

吉川さん
「吉川史料館の館長をしています。
 錦帯橋の麓にあるのですが、(先ほど仰られたように)
 若い入館者が増えています。特に女性が増えています。
 実に熱心で、文章を読み下し文にしたのも熱心に読んでらっしゃいます。
 読むのに1つ30分かかるのですが。
 ゲームの影響が大きいのでしょうか。
 元春は猛将のイメージが強く、64戦22引き分け
 隆景は智将、頭がいいというイメージでしょうか。
 
 広家のテーマを今していますが、
 (広家以外にも)元春の尼子攻め、永禄5~6年中の
 「太平記」写本も展示しています。
 元春は文武両道の武将です。

 広家が輝元に出した案文も展示しています。
 読めば「関ヶ原」のイメージが変わってくると思います。
 秀秋はあそこ(南宮山)に陣を置いた時点で東軍だったと言われたが
 小早川に戦う意思はなかったと書いてあります。」

小早川さん
「今回は兜と鎧を展示しています。
 車一筋の人生なので、歴史はあまり詳しくないのですが
 450周で昨年から勉強しだしました。
 小早川は戦時中に蔵が全焼してしまい
 その焼け残った兜と鎧なのですが
 我が家で持っていてもとなりまして今回三原に寄付しました。
 
 石田さんとは雑誌の取材が縁で今は飲みにも行く仲なのですが
 石田さんと明智さん水野さん長曽我部さんと会食したり、
 因島村上さんにも知りあえました。
 細川ガラシャさんの末裔さんとも対談しました。
 
 雑誌の取材を機に歴史対談が増えました。
 もっと歴史を知らないといけないと勉強中です。」

安芸高田市長
「『一心劇』を小学校でしています。
 毛利氏の訓話を伝えています。
 大河ドラマで困ったのは中世のものはあるのですが
 形あるものは残っていない。
 勝手に作るわけにはいけないし、となった時に
 市民が語り部として訓えを伝えていくことにしました。
 
 今後は山を整備するので見に来て欲しいです。
 中世と自然を大事にしながらいきたいです。
 語って行くことを続けていきたいと思います。」

●三原の今後
小早川家
「今後も協力していきたいです。
 三原を中心に史跡を巡れるバスツアーを作ったり
 観光を外国の人も分かりやすくすること
が大切かもしれません。
 外国語パンフレットなどもあればよいと思います。」

三原副市長
「当主のご要望なので検討させて頂きます」

毛利家
「吉川さんと小早川さんがよくしゃべるのであまり語らないようにしています。
 当館は防府にありますが、墓前祭には出されて頂いています。
 
 (他との協力)萩では薩長の剣道トーナメントが開かれています。
 高杉晋作杯などもあります。観光対策もしています。
 山口は商工会を中心にパネルディスカッションを
 徳川と島津と行いました。
 
 (今後の要望)専門家の講演も聞きたいですね。」
 三市(三原・北広島・安芸高田)で連携されていますが
 防府もいれて欲しいです。」

感想としては
吉川さんは流石館長だけあって
歴史関係のことをすごく詳しくお話して下さりました。
講座があるのならば聴講させて頂きたいぐらいでした。
小早川さんは、モノ作り一筋、交友関係の広さと
血は遠くとも隆景さんによく似ているなあと思いました。
石田三成さんのご子孫のお言葉、心に響きました。
我々安芸の民だと小早川=隆景=三兄弟か両川ですが
他所だと小早川=秀秋=裏切りのイメージなんだなあと。
毛利さんは何と言うか輝元さんらしさがあふれてました。
血筋で言えば小早川さんとそう変わらんのに不思議でした。

●饗応食の試食
秋山先生
「戦国時代、相談事は多くの場合食事中にされました。
 永禄4年、新高山城では9日間、隆景は父の元就と
 兄の隆元を饗応しています。」

三原副市長
「復元のバックアップをしました。
 小早川氏(に関連するもの)は観光資源ですので。」

安芸高田市長
「大河の時にはおもてなしで「元就弁当」を再現しました。
 元就さんの好物を中心に作りました。
 資料などを参考にレベルを上げました。」

杉山先生
「今回は3市に実際に足を運び、食材を考えました。
 学会で関係研究者と話し合いました。
 史料に書いてあることを中心に復元しています。
 今回は学生が考え、復元が論理的かどうかを中心に
 まとめています。」

学生さんの発表
「お湯漬けは、だしは当時のものを再現しました。
 ふくめだいはでんぶ、
 雲月羹は、たんぽぽと白魚を寒天で固めました。
 鳥は、ゆずみそをつけています。
 あはひは、あわびの白あえです。

 今回のは山口御下向、身自鏡を参考にしています。
 文献をみると鶴は最高のものだったようです。
 白鳥に関する書状もあり、
 「元春に送ってもらった白鳥がおいしかった。」
 と書いてありました。
 獣はカワウソだけです。
 五食は五色に関係し、春は青きすっぱきこととあります。
 ですので雲月羹は青菜をいれました。
 鳥は調理方法や種類は書いていません。
 羹は魚や菜を寒天で固めたもの。
 時代は違いますが作り方を書いてあるものがあったので
 作り方はわかりました。」
●試食して
毛利家
「・・・。この間キング提督が三田尻に来た時の饗応食のはもうちょっと
 ステーキがあったりと豪華だったんですが。」

吉川家
「英長戦争の和解のものが豪勢なのは時代がかなり違いますからね。
 大内(と藩では)レベルが違いますよ。
 江戸の末期と中世のものですし。
 神明市(三原の道の駅)で提供しては如何でしょう。」

三原副市長
「はい。いずれは神明市で提供するつもりです。」

小早川家
「昔は粗食だったと思います。
 味は薄いですが、口当たりはいいですね。
 (もう少し味を濃いくして)日本人や外国人の口に合うものにしては如何でしょう。
 食を三市で活用して饗応しては如何でしょうか。」
 
と言う感じで、え、味薄い?と驚かれてらっしゃったんですが
後で試食するとそんなでもなかったです。
山口で食べた饗応食よりは味がしっかりしていました。
普通においしかったです
限定100食なのでわざと評価を辛口にされたのかな?と。

DSC_3920.jpg

1人1品だけだったので友と分担して3種類集めました。
雲月羹とあはひ、おいしかったです。
鮑入りの白あえとか贅沢じゃなあと食べました。
私は家でも薄味なのですが、薄くても平気なのですが
周りの友達もおいしいと言っていたので
多分普通においしいです。
三原神明市で提供されるのを楽しみに待ってます。

この後、
三原は「やっさ踊り」
北広島は「本地の花笠踊り」
DSC_3930.jpg
安芸高田は神楽の「元就公」
備後じゃけえあんまり神楽見たことないのかなあと拍手してて思いました。
くるくる回るところとかで拍手送っている人が少なくて・・・。
あ、あと、今回頑張って衣装の早替え撮れました!
元就さんと元春と尼子の晴久さんと尾張守のくるくる演武。
DSC_3937.jpg

の演目がありました。

・・・衝撃だったのが「本地の花笠踊り
え?え?銭太鼓って太鼓のばちじゃったん??
うちらそれが太鼓で運動会の時には
小石の散らばるグランドで正座して演奏したよ??
え?立って太鼓叩くん?嘘じゃろう!!

と衝撃でした。
周りの友達は理解してくれなかったんですが
職場の友達は同じように驚いてくれました。
ていうかそもそも銭太鼓を知らんかった・・・同じ県内なのに。

あと、紹介も「伝統の女装芸です。」という説明も衝撃でした。
女装。うん、いや女装といったら女装じゃけど。
まあ、どう考えても化粧しても女っぽくないから
顔を隠すのに笠をかぶったけど
それでもちょっとどうかなと思ったから
あの周りの花をつけたわけじゃろうし
そこまでして女装したかったのか吉川軍となりますが。
あ、でもおっちゃんが踊っているとは思えないほど
綺麗な踊りでした。
神楽も「姫」があるけえ慣れとるんかなあと。

同じ県内でも民俗的な芸能も全然違うなあと思います。
それは気候や暮らしから来る差であり、
その差を踏まえた上で同じ県民として
三矢の訓えは今も守るべきことだなと思いました。
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トロロヅキ

Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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