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「毛利と織田戦争と備後の国人」感想

10月18日に福山の県立歴史博物館の講座に行ってきました。
「毛利と織田戦争と備後の国人」という題で、
講師は毛利博物館の館長代理の柴原直樹先生です。

先生は地元、福山出身。
「広島県の場合、歴史が西高東低で、
 安芸の方は毛利氏を中心に盛んに研究されている一方、
 備後はあまりぱっとした国人が浮かばない
 そもそも軍記物にも登場することが少なく、
 それは現代のゲームを見ていても同じだ。
 地理で見ると高梁川が備後の唯一の防壁で
 ここを崩されると秋まで一気に攻め込めるので崩壊してしまう。
 備後の国人達は戦国大名毛利氏にとってどのような位置づけだったのか。」

と仰られてでした。
確かに、最近戦国系のゲームで毛利も大分出るようになりましたが備後の国人ってほぼいません。
そもそも誰が備後にいたのかよくわからず、私が知っているのは宮氏、杉原氏ぐらい。
幕末の長州藩で高須さんが出てくるので高須はわかります。
それでもどんな活躍をしたのかは具体的にはよくわかってません。

ということで初めに毛利元就が隣国・備後をどう思っていたか。
「我等の事、数年芸備石国衆申し合い、すいちく仕り候」
(毛利家文書549号)

から元就さんは安芸と同様、石見も備後も枢軸となる国だと考えていたようです。
元就さんの本拠、吉田はどちらかと言えば備北に近く、
備後の甲山や吉舎の人も病院は吉田まで行くぐらい。
町の人も文化も吉田に近いんだそうです。

あ、ついでにこの549号ですが、
文字が斜めで細いので体調が悪かったのだろうと先生仰ってでした。
輝が
「僕も大友攻めしたい!!」
と言い出したらしく、じいさまの元就さんが
「いや、みんな行っとるんじゃけえ行く必要はないけえ。」
と説得している手紙なんだそうです。

・・・・輝。じいさま休ませてやりんちゃいや。

ところが、4男の元清は
「備後衆者表裏なる衆にて候」
(毛利家文書847号)

と不信感丸出し。

・・・広島県民を分断する例の書状
いや。そがいには思っとりませんけえ。
方言もイントネーションも違ってても同じ県民じゃと思いよりますけぇ。
備後民の先生に言われると何だか心が痛みます。

元清のは天正7年に出したものですが、何でそう思ったのか。
それには和智さんの事件が関係するようです。
和智さんは陰徳じゃと隆元を毒殺したから後に誅伐されたとあるのですが
「隆元は当主。当主が殺されたのに何もしないのはありえない。
 和智氏の事件は5・6年後なのでそこまで放っておくことはない。」

と仰ってでした。
和智氏は備後山名氏と交渉可能な家で備後衆の取りまとめ役。
毛利とも早くから同盟を結んでいた家で、高橋討伐の頃からの仲です。
あまり強引なことはしない元就さんが珍しく強引な手を使っており、
時期的にも、隆元死去、元就さん自身体調を崩し、
跡継ぎの輝元はまだ16歳。
和智氏の扱いが輝元には重いかもと消したのかもしれませんが
まだこの事件の時に20代だった元清が多大な不信感を抱くような
何かがあったんではないかとのことでした。

・・・元就さんは家臣の粛清は一番してはいけないことだと手紙で述べているんですが
和智兄弟も最初から殺すつもりではなかったようで
棚守さんの話を聞く限りでは、
何らかの事件を起こした兄弟が証人喚問を受けて厳島神社に抑留され、
拘留場所から逃げ出して本殿に立てこもったので仕方なく番兵たちが討ち入り、
兄弟は討ち果たされたらしいです。
なので何か事件を起こしたのは確かなのですが、
殺してしまったのは不慮の事故だったのかなあと。
で、この時期で毛利を裏切るようにそそのかしたのは誰かというと大友かなあと。

で、織田との戦いですが、備後自体は平和で
甲山や世羅の国人が織田との戦いに駆り出されたようです。
対尼子の籠城戦の時には領地から交代で城番を出しており、
無理はしないでねといいつつも無理しながらの持久戦。
それは上杉も同じで似たようなことは全国でしていたようです。

で、その出張のとりまとめをしていたのが和智さんの代わりに台頭した上原さん。
湯浅家文書36号隆景書状によると、
対織田戦争で岩山(場所不明。庭瀬の側?)城に籠っていた
備後国人の湯浅氏が
「仕事しとるんじゃけえきちんと褒賞をください・・・。」
と所領の要求があったそうです。
嘆願手順は湯浅→上原→隆景→輝元で、
上原氏が備後衆の取りまとめをしているのがわかるんだそうです。

そこで毛利方は宇喜多の備前・美作を落としたら300貫やると約束。
ようはまだ敵の領地なので戦に勝ったら褒賞をやるという約束手形です。
負ければただ働き。
今までの大内・尼子の時にはこのようなことはなかったそうですが
対織田は約束手形を出すことで戦いを乗り切ったそうです。

因みに、織田や秀吉は国人衆の離反を促すために
味方になれば1国をやると豪華な報酬をちらつかせてきます。
しかし、毛利は300石、村1つ分の地味な約束手形。
それでも境目の国人は毛利のつくことが多く、
織田&秀吉は調子が良すぎて信頼されなかった
んではないか。
と仰ってでした。

・・・確かに、黒田官兵衛などは逸話からすると播磨一国を約束されたようですし
秀吉のやり口だと絶対そう誘っているんでしょうが、結局一国を貰うことはなかった。
そもそも日本は60カ国しかないので、侵攻する国々でそんな約束していたら国が足りんなあと思います。

また、毛利方は備中の城に備中の国人衆だけではなく備後の国人も一緒に入城させています。
備中方は裏切ることがしにくく、備後も周囲に近所の国人衆が在城しているので
1人抜け駆けすると地元に帰れなくなる。
人間関係によるしがらみで防御していたのですが、意外とこれが効いたようで
岡山に入ってから秀吉の進撃は止まり、備中に入るのに2年もかかったんだそうです。

・・・きちんと調べてみると意外と秀吉は快進撃ではないんじゃなあと思います。
三木や鳥取などの敗戦が歴史上は大きく取り上げられるから一方的に圧されて見えますが、
備前・備中は一進一退ではあるようです。
こないだも美作と美中の境目城の論文みましたが毛利方が勝っていましたし・・・。

ところが、天正10年、上原元将は秀吉の調略になびきます。
上原が寝返ったために備後衆も動揺したようで
備後国人の湯浅さんも守っていた岩山城を命令なく放棄し
後に詮議されたようで書状で弁明しています。
それが湯浅家文書90号。それによると
「岩山城を引いたのはしかたない。
 長井(吉田衆・毛利家の直臣で検臣)に上原から
 裏切るよう命令された手紙を見せたのだから私が裏切る筈がない。
 岩崎(輝元のいた場所)に送った使者が戻るまで待とうと私は言ったのだが
 長井は周りが全て寝返ったのかもしれないし逃げるべきだと言ったのだ。
 長井に念書も書かせている。」

とあり、上原は裏切る時に周辺の国人である湯浅らも誘ったことがわかります。
ただし、誰1人として上原にはなびかず、どの城も落ちませんでした。
備後衆の取り次ぎ役だった上原元将ですが
検臣である長井や口羽が思っていた以上に人望が無く、
和智ほどの家格も高くなかったため、
取り次ぎ役として上に立てたのも毛利の威光あってのもの。
逆に裏切った備後勢を備中勢が奮戦して追いだしたところもあるそうです。

・・・上原さん、己の牽制が毛利の威光有りきだと理解できんかった時点で
ああ、そりゃあ備後衆の頭目として認められんかったんじゃろうなあと思います。
だからこそ、器量不足を埋めるために元就さんも娘を嫁がせたんでしょうが
やっぱり駄目じゃったんじゃなあと。

・・・それと、「人は石垣~」で始まる言葉がありますが、ほんまにそうなんじゃなあと思いました。
先生は国人達のことを
町内の自治会長だと考えてもらえればいい。
 お役目御苦労さまの手紙は草取りに来た人にジュース配っているのと同じ。
 隣の町内会との関係があるから1人抜け駆けなんかできない。
 もし勝手に帰国したら「あいつんとこ帰ったらしいよ。」と孤立する。
 そして、如何に地域が活性化するか、地域を守るかのために考えている。」
と仰ってましたが、なるほど言い得て妙だなと思いました。

最後に、毛利から見た備後国人ですが、
基幹国ではあるが、一心同体ではない
如何に裏切られずに味方にするか考えなければいけない相手だと
先生はまとめていらっしゃいました。

あ、あと裏切った上原さんは草野さんに討たれたそうです。

・・・別説だと元就さんの娘が旦那の上原を刺したという話も残っています。
まあ、「私がいるのに毛利を裏切るの!!」となるでしょうなあ。
人質にされたらその時点で戦終了ぐらいの重さですし。

あ、因みにこの娘さん、「こうざん」(甲山)という名で書状に出てきます。
上原氏の居城があった備後の所の地名です。
ですが、戦争中の備中に夫と一緒に在陣していたようで、
元清が姉妹である「かうざん」の事を心配しています。
そういう元清も奥さんと一緒に備中猿掛城におり、
秀元はそこで生まれています。
毛利家唯一の岡山県生まれの武将です。
長期出張とはいえ戦線に近いとこに夫婦で行くって
対大内・尼子の頃には文献で見られないので
対織田は何故そんな危険なことをしているのか謎だなあと思いました。

今回は備後出身の先生だからこそ語られる視点がいつもと違って勉強になりました。
同じ広島県としてもっと備後のことを知らねばと思いました。
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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