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「来ないで麒麟」~丹波探訪①~

「麒麟が来る」で今、熱い視線を浴びているのが丹波。
丹波は京都府と兵庫県にまたがる旧国名で、
明智光秀が攻めて拠点とした国です。
丹波の国衆は織田に従うものと対抗するものに分かれました。
対抗する者の代表は、「丹波の赤鬼」とされた赤井直正。
彼は、織田と対立する毛利に援軍を救援し、
侵攻してくる明智光秀を食いとどめようとします。
さあ、勝負の行方は?

・・・・と伝記風に始めたものの、ぶっちゃければ私の最大の謎は
「織田と毛利の入魂」からなぜ戦争になったのか。
なのです。
丹波方面の歴史の詳細については安芸ではほとんとつかめず、
丹波の国衆から出された手紙の年月を推定したいなあと思ったのと
元就さんが信長に依頼した
「丹波・但馬の賊船が尼子再興軍を助けないようにしてほしい。」
とあった願いで向かったのは明智光秀なのか?という疑問を解消すべく
丹波黒井と福知山へ行って参りました。

当方、旅に出たのは2月の三連休の初日。
新型肺炎のニュースで世情が騒がしくなりつつあるので
京都と大阪を経由せずに広島から福知山までを目指すルートを考えました。
一つは山陰ルート
赤井直正に援軍を請われた吉川元春が辿ったルートになるんですが
アクセスが片道7時間・・・。
今回は日帰りを考えていたので却下です。
もう一つは山陽ルート
加古川線で福知山を目指すルートです。
と考えると黒田家譜の記述がどこまで正しいかは分かりませんが
丹波や但馬へ向かうのに英賀は結構重要拠点だったのだなと思います。

で、よりによって新幹線が広島駅から停電で始発から大幅な遅れ。
予定していた加古川線には10分間に合わず、仕方なく
播但線→山陰本線→福知山線
と5時間半かけて行きました。
まあ、おかげで播磨の奥の様子を知ることができました。
播磨灘周辺は開けているものの、すこし奥へ行けば
山に囲まれ狭い谷筋がまっすぐ伸びている中国山地の端でよくみられる風景。
あ、これ横の連携無理だなあと悟りました。
逆に谷筋を一気に下れば海で、尼子晴久の天文9年播磨攻め
主要箇所さえ落とせば一気に行軍できるのであんなに破竹の勢いだったのかもしれません。

公共交通機関の旅の醍醐味は地名探し。
バスだと小字まで知ることができるのですが、今回は電車。
八木や氷上など見覚えのある国人の名前が駅名で出てきます。
で、思わず2度見したのがここ。

CIMG2382.jpg

おお!天空の城で有名になった竹田城じゃ!
毛利方国人だった方が詰めとった城!


駅裏が登り口になっているのでアクセス良好です。
しかし、一番山城登山の時期である冬季は登山禁止なのですね。
知らなかったです。今の時期は蜂も熊も蛇もいないので山に登るにはいい時期なんですが。

そんなこんなでお昼過ぎにようやく福知山。
・・・やったあようやく着いた!
大学の友達が福知山出身なので福知山はとても親近感ある地名なのです。
ここが彼女の生まれ育った場所かあと電車待つ間に駅周辺を散策、
駅には観光案内所があり、光秀グッズがたくさん置いてありました。
とはいえ時間がないので本だけ買って再び駅へ。
今度は黒井を目指します。

黒井から降りると目の前にものすごく立派な山城が!

CIMG2385.jpg

麓の館から中腹の山門、本丸の石垣と全部セットで残ってます。
新幹線が通常通りであれば登れたのに!
と臍を噛む思いで展示会場へ。

CIMG2384.jpg

あれ?春日歴史民俗資料館どこ??
と迷いながら入った建物の2階で何やらしているようなので
上がってみました。

ちょうど、大河関連のことをしていたようで
大河の岐阜城のセットをバーチャル体験できるイベントをしていました。
せっかくなのでVRつけたんですが、すごい!!
ゲームの世界に丸ごと入った感じです。
大河ドラマだとあまり一階出てきませんが、武器がいっぱい。
で、ワープポイントまで歩くと画面が切り替わって2階へ。
自分で歩くとその分景色がきちんと変わるのです。
いつも斉藤道三がいる御座所から縁側の方へ出ると
きちんと景色も動く!!
わあ!すごい!!

と思ったより楽しめました。

で体験した後に教えてもらった展示場へ。

黒井の城主、赤井直正を中心に古文書や関連物がありました。
赤井直正、名前は聞いたことはあるけどどんな人だっけ?
と思っていたら歴史マニアの親子がわりと大きい声で解説していたので
ありがたく聞かせてもらいました。

赤井直正は赤松家の末裔で養子に出されます。
しかし養子先の叔父を殺して黒井城を奪い
荻野悪右衛門と改名します。略して「荻悪」

吉川家文書に何度か出てくる名前です。
彼は織田信長に一度は従ったものの、反旗を翻し
丹波統一を進める明智光秀と敵対。
当時信長と敵対していた本願寺とも連携していたようで
下間頼簾書状が展示されていました。

内容は
「加賀の一向一揆と上杉謙信が連携できるよう調整中だ。
 毛利がなかなかはっきり返事をしないが
 あなたが味方についてくれると聞いて心強く思っている。
 紀伊の小倉監物に任せていた城が一つ落ちた。
 安芸の警固衆達が渡海してくれば策の立てようものあるのだが。
 丹波丹後出雲伯耆のことは吉川殿が向かわれるとのこと
 目出たいことである、」
(私訳)
と私には初見の史料で興味深かったです。
上杉謙信と加賀一向一揆が和睦していることから天正4年の9月26日。
とされている書状です。
資料館では丁寧に現代語訳がついていてどの書状も読みやすかったです。
「丹波国史」?を元にされていたようで、非常に気になりました。
どこかで売っていないかなと思いましたが、古本屋さんらしきところがない。
また、検索しても出てこないので本の名前を間違えて覚えてしまったのかもしれません。

あと、吉川家文書なので今回は出てなかったのですが
赤井直正が出した書状に
「詳しくは安国寺恵瓊に述べている。」
と元春に救援を願うものがあるそうです。

・・・恵瓊?え?恵瓊さんここまで来たの?
新幹線も電車も車もないのに!?


と非常に驚きました。現代でも最速で5時間半。
一体何日かかっていたのでしょうか・・・。
余談ですが、イベント会場の方や資料館の受付のお姉さんと話したときに
「広島から来ました~。」
と言うとすごく驚かれました。
いや、でも援軍要請されてたし、恵瓊さんも来てるわけだし
そこまで驚かなくてもとは思いましたが、
やっぱり距離考えるとものすごいのかなと。
それなのに元春に援軍を頼んだのは
上の本願寺絡みで伝手ができたためでしょうか。
まあ、尼子晴久が播磨攻めてるので出雲や伯耆からなら
丹波もすぐに来れるだろうと思ったのかもしれません。

ただ、最初から毛利方かというとどうもそうではないらしく
「山中鹿之助がどのが無事に通ったらしい。喜ばしいことだ。」
という書状を直正の子孫が持っていることから
どうも最初は尼子方に通じていたようです。

結構謎なのですが、
尼子再興軍は山陰でかなり広い連携があったようで
丹波・但馬の海賊衆に限らず内陸の氷上郡でさえ同情的です。
但馬は尼子経久が寄進した名草神社の三重塔があるので
元々関係が深そうだとして丹波は?
以前、講座で尼子氏が安芸武田を支援したのは
武田の本家である若狭武田からの要請だと聞いたのですが
尼子氏はやはり佐々木一族として京とのつながりが深かったのか。

結構意外なものがたくさんあって充実した展示でした。
会期は来週3月8日までだそうですが、
昨今の情勢を鑑みるに厳しそうです。

図録が出ないのか聞きまくったところ、
運よく教育委員会の方にお会いすることができました。
・・・同業者は同じ匂いがするので見分けやすい・・・。
お休みのところ申し訳なかったです。
図録は出す予定なんだそうですがまだ詳しいことは未定なので
とりあえずおすすめ頂いた資料館発行の薄い本を買いました。

春日町の方々はとても親切で
「わが町を盛り上げるぞ!」
と張り切っていらっしゃったので
皆さんにもぜひ訪れてほしいなあと思います。

・・・あれ?作文っぽいな。
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Author:トロロヅキ
主に毛利元就から浅野長勲までの安芸の歴史に関するブログです。初めての方は目次へどうぞ。

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