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毛利元就と商人達~その協力は現在にも続く~

商人といえば武士の時代にあって
あまり目立たない存在ですが
経済力というのはいつの世も物をいわせる力を持っています。
毛利元就、またその孫の輝元はそんな彼らの力を得て
治世を行っていました。
そんな彼らの記録。

まずは堀立直正
彼は現在の広島市安佐南区祇園の堀立(帆立も表記する)の出身で
商人であったが毛利元就に仕え、下関の管理にあたったとされます。
祇園は今でこそ平地ですが、400年前ぐらい・・・というか広島が出来るまでは
海と繋がっていたようで、付近には今でも今津という地名がバス停が残っています。

祇園あたり

赤いところが今津、黄緑が帆立です。
多分・・・。
銀山城から見下ろしているので目印になる建物で判別してはいますが・・。

なので当時の海岸線は

祇園の昔?

かなと思います。
白島(箱島)とかそんなん無視してますが、
まあ広島ができるまで干潟が広がっていたと思われるので
大体満潮の時はこのぐらいだったかもしれません。

と考えると彼は水運に関わる商人であった可能性が高いです。
祇園は平安時代より厳島神社の倉敷地であり、
佐東川の船が集まる場所であったそうです。
なので瀬戸内海航路の入り口でもあり
現在でも多くの船のが行きかう馬関海峡の取り締まりを任されたのは
彼の水運商人としての手腕がかわれたからかと思われます。
・・・詳しく調べたいんですが彼は北九州にいったために
史料が手に入りにくい・・・。
せめて九州北部と四国の市史は集めておいて欲しいです、県立図書館。

次に周防宮市の濃物商人
彼らは永禄12年の大内輝弘の山口侵入に対し
毛利氏側について大内再興軍と戦ったそうです。
(参考文献「毛利元就考」碓井静照著)
大友氏の謀略により、山口に送り込まれた大内輝弘。
彼は瞬く間に広がってしまった尼子氏再興運動とは異なり
思うように兵が集まらず、壊滅したようですが
商人達のネットワークが大内氏復興を阻止する方向に動いていた。
それも大きな原因の一つではないかと思いました。

それと商人といえば商人なんですが
正しくいえば・・・
温泉旅館の亭主?
も協力者の一人です。
その名は伊藤重佐
彼は島根県太田市温泉津に温泉を開いた方で
そこから上がる湯税を輝元の代から献納していたそうです。
そもそも温泉津は石見銀山の積み出し港として整備された町で
前に記事に上げたように毛利元就も彼と共に温泉開発を行っていたようです。

それから平田屋惣右衛門
彼は出雲出身の商人で、輝元の時代に広島城下の
町づくりの中心的な役割を果たした人物でした。
名からするに島根県出雲市平田町の出身と考えられます。
彼は広島を作る際、材木の運搬などを行いやすくするために
運河を作ったり町割りを行ったりし、後に町人頭になりました。
彼の功績をたたえた平田屋町跡の石板が
今でも本通りにひっそりと残っています。
なお、この平田屋惣右衛門。
現在、島根県と広島県の発展に尽くすことを目的に
全国で初、人名を冠した協同組合として平成22年に復活しました。
詳細はこちら「平田屋惣右衛門
・・・人が復活!!
切支丹もびっくり!というより私が驚きました。
ヒロシマネをコンセプトに頑張っておられるようで
世界遺産の宮島、石見銀山を結ぶべく
今後も頑張ってほしいです。
というか講座に行きたかった・・・。



この記事はネタがあり次第順次更新します。
平成25年7月13日更新
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